僕の吉祥寺話 36

さて、その男とは・・・とその前にこのJAMに出演していた俳優の「朝比奈尚行」についてもうちょっと詳しく説時々自動明しておかなければならない

現在は「あさひ7おゆき」という芸名で活動しているが、役者だけでなく演出家としても、また最近では「時々自動」という劇団兼バンドで音楽活動も活発にやっておられる

JAMではガンさんと並んで中心的な人でもちろん毎回このイベントには出演していた

その彼がある日「つい最近アメリカから帰ってきた僕の弟です」と紹介し、一人の青年がステージに登場した

かなり年代もののGIBSONのアコギを抱え、指にはスライトバーをつけていきなりボトルネック奏法で弾きだした曲を聴いてみんなぶっ飛んだ

「う、上手い!」 そのギターは本当に本場のブルースマン・・・たとえば「フレッド・マクダウェル」のようなサウンドだったのだが、その音に乗せてすごくブルージーなオリジナル曲を歌った

勿論そこに居た誰も彼のことは知らなかった 衝撃的に登場したシンガー・・・

それが 朝比奈逸人 だったのだ

とにかくギターは本場仕込みというかまるでアメリカの南部から来たような味と技があった ブルースハープもムチャクチャ上手かった

独特の鼻にかかったような声で歌われる彼のオリジナルがまた素晴らしかった

この登場をきっかけに当然、朝比奈逸人はすぐにぐゎらん堂にとってもなくてはならない存在になったのだが、僕にとって彼の登場は本当に嬉しかった

彼のブルースについての知識や腕はそれまで僕が吉祥寺界隈で出会ったどのミュージシャンとは比べ物にならないくらい深かった シバもブルースについてはもちろん僕の”師匠”だったが、彼がどちらかというと「ライトニン・ホプキンス」ばかりに偏ってたのに対して「ヤスト」・・・もう親しくなってからは皆が彼をこう呼んでいた・・・は「ブラインド・ブレイク」とか「ウィリー・マクテル」とか幅広いカントリーブルースマンをフォローしていて話もよく合ったし(ぐゎらん堂に関っていたほかのミュージシャンたちは実はあまり深くブルースには踏み込んではいなかった)、僕は彼と一緒にライブやセッションをたびたびやった

ところで、ヤストはソングライターとしても抜きん出た才能を持っていた

「おさと」「なまけもの」「ライウィスキー」など名曲が多いのだが、特に彼の「トンネルの唄」はその後高田渡がずうっと自分の持ち歌にして歌ってたので聴いたことある人も多いと思う⇒トンネルの唄

ちなみにペンギンハウスに出演している「寺田町」も最近は歌ってるので生で聴きたい人はぜひペンギンハウスへ! トンネルの唄の寺田町バージョンも素晴らしいよ

ところで・・・それだけ実力もありそれからの大活躍も期待されてたヤストだったのだが、大ヤスト学を(東京芸術大学の美学生だった)卒業し大阪芸大の講師になったのをきっかけにこの音楽の世界からまったく姿を消してしまった

その後、彼の美術方面での活躍の情報などもあったのだが⇒
音楽についてはどうもまったく足を洗ってしまったようで現在もどこでどうしているのかさえなかなか情報が掴めない

彼の演奏の記録も、参加していたJAMの解散コンサートのライジャムブ盤⇒と

75~76の春一番のライブ盤「ライ・ウィスキー」「もう終りさ」の2曲が残されているだけなのだ

彼の演奏している画像さえネットで探してもほとんどなく、辛うじて見つけたのがこれ 京都在住のフォークシンガー古川豪のHPからだヤスけど、古川さんの陰にちょこっと顔が見えてるのが彼だ

まあ「消えてしまった」という意味では僕も前に中川五郎に「今ではお蕎麦屋さんになった」と書かれてるのでヤストと同格らしいが(笑)、ヤストの場合は本当に消えてしまったのだ

つくづく勿体無いし、またゼヒ彼のあの暖かみのある素晴らしい歌が聴きたいものだ

ヤスト・・・どこかでこれを読んだらぜひ連絡下さい・・・まるで「家出人捜索」みたいだけど・・・

また一緒に酒でも飲みながらセッションしたいね!

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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