仲田修子話 あとがき

皆さん、著者のジミー矢島です

「仲田修子話」全161回・・・お楽しみいただけましたか?

私のつたない文章でどこまでちゃんとお伝えできたのか、不安もありますが・・・とにかく全力で書かせていただきました

この連載が始まったのが今年(17年)の5月からでした その頃、ペンギンハウスのホームページに載せる記事やコンテンツの新しい素材探しに苦労していた私に仲田修子が

「じゃあ私の伝記を書いてくれない?」

・・・と提案してくれたことからこの連載が始まりました 始めた当初はせいぜい100話まで書ければ充分かな・・・と思っていました ところが、この記事を書くために彼女にあらためて取材をしたところ、そうはいかないことが段々と見えてきました

私ジミー矢島はもう仲田修子とは40年以上の付き合いになります その間遠のいていた時期もありましたが、彼女の動向や経歴などは大体解っているつもりでいました

ところが、いざ取材を始めると・・・それは毎回レコーダーを廻しながらインタビュー形式で行われました・・・次から次へと・・・私の知らなかった修子の生い立ちとか経験とか周りの景色とかがどんどん出てきて、その量の膨大さに唖然としたのです

特に幼少期から中学生まで・・・彼女の父親が亡くなるまでの期間の記憶は、こちらが驚くくらい鮮明で正確でした おかげでその当時の修子の生きてきた時代の光景をかなり詳しく、立体的で色彩豊かな形で描くことができました

「品川宿」という東京(江戸)の中でもかなり特殊な地域で育ち、幼少期にはまだ現存していた「遊郭」の中で遊び、週に2度はどこかで開かれる縁日に通い、都電に乗って銀座や東京タワーが出来る前の空き地が遊び場・・・家自体が大きなショッピングモールかテーマパークのような中にあった・・・こういう環境を修子は

「東京で生まれ育っている人なら誰でも普通に経験したことだと思う」

と言いました

それに対して同じ東京生まれの私と瀬山は口を揃えて言いました

「それは違う!」

とにかく、この時期の修子の記憶や思い出は中身が尽きない「宝箱」のようでした しかも、色々な話を聞き出してインタビューが終わった後で、修子がそれまで忘れていたことをふと思い出し「そういえば、こんなこともあった・・・」と話し出すので、慌てて今仕舞ったばかりのレコーダーをまた取り出しインタビューをする・・・そういうことが何度もありました

それだけ記憶が鮮明だった修子でしたが、2回だけひどく不鮮明でおぼろげな時期がありました それは父親の急死の後、そして弟の自殺の後のことでした 特に父親の死亡のあとの3年間ぐらいの彼女の記憶はほとんど「削除」されていて 「覚えてない」「わからない」・・・と答えることが多く、これらのことがどれだけ彼女の心に大きな傷を残したのかが理解できる気がしました 弟の自殺はその後、じつに40年近く彼女を苦しめ続けます

それに対して修子がその後取った行動や選択が、こうして皆さんに私がこういうことをお伝えしていることも含めて、今の彼女の環境を作りました

その一方で最後まで現実面で修子を苦しめ続けたのが、母親の「千代」でした 高校を中退してからずうっと、修子は彼女の生活の面倒を見てきました その本人に面と向かって
「お前はわたしの金づるだよ」
と平気でうそぶく母親を心底憎みながらも、生活の面でも経済面でも決して見捨てることもせず、晩年はボケてしまった母を「特別養護老人ホーム」へ入れるために奔走し、16年の3月に千代が96歳で「老衰」で亡くなるまでそれは続けられた・・・修子はそういう人物なのです

修子は周りに対する気遣いをいつも忘れません たとえば私が商売をやっていて経済的に困っていた時も、いつも心配してくれました 60歳に近いほとんど経験のなかった私をペンギンハウスのメインPAオペレーターとして雇う・・・そんなことをする人を私は他に知りません 彼女のそういうところは普段出合う人たちにも向けられます 配達に来てくれる酒屋さんにはいつも決まって優しい口調で「ご苦労様」と声をかけます

タクシーに乗って自宅に帰るときも運転手に
「近くて悪いんですけど、○○通りを○○町までお願いします・・・あ、そこを右に曲がってください・・・すみません、そのコンビニの前で止めてください」
と声をかけ、メーターの金額より多めに金を渡し
「あ、お釣りはいいです コーヒーでも飲んでください」
そう言われてちょっと驚きながら嬉しそうな顔をする運転手・・・もう一度言いますが、修子はそういう人なのです

話を戻しますが、今回この連載を書いていて私がつくづく思ったのは、”仲田修子”という人の人生のドラマ性が凄すぎるということでした

父親の死で高校も中退して工場労働に就いてた1人の娘が、その後すべて自力で誰の手も借りず「看護助手」「レズビアンクラブ」「アニメーター」「バニーガール」と様々な職業を転々として「クラブの弾き語りシンガー」そして「シンガーソングライター」から「ライブハウスのオーナー」にまでなる・・・ それだけでも十分にドラマチックなのにその縦糸に絡んで「フーテン」「ゴーゴークラブ」「天井桟敷」「過激派デモ」など彼女が生きてきた時代にエポックメイキングだった社会動向が横糸としてきっちりと編みこまれている・・・

こんな人を他に私は知りません

彼女はつい最近まで自分のことを「地味で何の個性も無くごく普通で目立たない人・・・」そう思ってました
自分のことを花に喩えると「キキョウ」だと言っていました

それに対して私と瀬山はまた口を揃えて言いました

「それは違う!!」

さて、仲田修子話はこの161回をもって一応終わりました しかし、修子話はまだ続いています まだまだこれからも続くのです ですから今回この連載の最後のタイトルも「最終回」とはせず、締めも「終り」ではなく「未完」にしました

これからの修子はどうなっていくのか・・・それをぜひあなたの目で直接確認してみませんか

・・・と書くとまるで最初から企んだように思われますが、実際本当に偶然なのですが・・・

明日ペンギンハウスで「仲田修子&ミッドナイトスペシャル」のライブがあります もちろん私も出ます

ぜひ明日、今の修子の姿を見にいらして下さい ライブが終わった後は良かったら一緒にお喋りしませんか そして、この修子話の感想なんか聞かせていただけたら嬉しいです

とにかく今までご愛読本当に有難うございました! そして今回この話に文章を寄せてくれたりインタビューに応じてくれた瀬山研二、田北美由紀、河西修各氏、そして何度もインタビューに応えてくれ、原稿の更正もやってくれた仲田修子さんに感謝します

いずれまた「仲田修子話 part2」を書くことがありましたらその時は、またよろしくお願いしますね

ありがとうございました            2017年10月20日 ジミー矢島

お知らせ

21日(土)『修子&Midnight Special ライブ』
出演;仲田修子(vo),ジミー矢島(ag),瀬山研二(ds),伊藤悦士(g)、安威俊輔(b)
オープニングアクト;大濱吾朗(g/vo)        《charge\2000》

半年ぶりに仲田修子バンドがライブしますよ 今回からバンド名も元の
「修子&Midnight Special」になり、またメンバーも変更しました
ギタリストの有海治雄が体調不良のため本人の希望でメンバーから抜け、それに代わって新鋭の若手ギタリスト伊藤悦士が正式メンバーとして加わりました 平均年齢が若くなり、ますますパワフルでタイトになった修子バンド

見逃したら損しますよ!

オープニングアクトはこれまた若い天才

ブルースマン 大濱吾朗がつとめます

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

出演するには?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする