どんなときでも表現は、芸術である、とかも問わず「引用と模倣」に尽きる。
自然の、引用と模倣だ。
だからどしどしそれを利用するしかない。
してよいのだ。
水蜘蛛は潜水艦を発明したではないか。
「俳句のワビ・サビってなあに?」と訊かれたので「ワサビ!」と答えた。
「なんで?」と又、訊くから「ツーンとくる」と答えた。
本を読んでいて理解できない。
で、そのまましばらく読んでいくと、にわかに解ってくる時がある。
小説でも、評論でも、詩でも、そんな経験は同じだ。
あれはフシギだなァ…。
今夜はジョルジュ・バタイユの『マダム・エトワルダ』を読む。
短いから一気に読めた。
「気持ちイイ!…」訳者のしわざか、と思うくらいスラスラ読めた。
今夜はガルシア・マルケスの『百年の孤独』だ。
「ワォーウットウしいー!!」と心で叫びつつ、でもページは開かない。
こんなの今読めない!