僕の八ヶ岳話 81

八ヶ岳のリゾート施設のフロントの仕事に就いてそろそろ3年が経とうとしていた 僕はここの環境にすっかり満足していた 夏と冬のトップシーズンを除けば仕事もかなり楽だったし、職場の人間関係も良かったし、周りは大自然に囲まれ、春は山菜、夏は渓流釣り、秋はキノコ、冬はスキー・・・と僕は八ヶ岳での生活にとても満足していた

東京に居た頃の息苦しさも全くここには無かった 音楽活動・・・それはもうずうっと過去の思い出になっていた ギターを手にすることはあってももう音楽活動は二度としない・・・その頃はもうそう思っていた しかし、あることがきっかけで僕の人性はまた大きく航路を変えることになってゆく

ある日のことだ 僕はある人物から誘いを受けた その人物とは僕が八ヶ岳に行ってから出あった友人のまた友人で、地元ではちょっとした実業家として知られていた そして彼の誘いとはこうだった
「矢島さん、蕎麦打ちに興味はないかい?」
意外な問いかけに僕はちょっと戸惑いながらこう答えた
「蕎麦打ちはどうだか・・・でも蕎麦自体は好きですよ」
実際僕は蕎麦が大好きで、八ヶ岳に移住してかたも「翁」など有名な蕎麦屋にはよく出かけていた そして彼の言うのはこんな内容だった 近々自分がやってる敷地の中に飲食店を開く予定で、それは和食洋食などさまざまなフードを出すファミレスみたいなもので、その中に手打ち蕎麦も入れたいのだと 彼は僕が以前飲食の仕事に就いていたのを知っててそれで僕にオファーしてきたのだ その話はこれからある蕎麦屋に弟子入りして、そこの親方から手打ち蕎麦の技術を学びその後新しく開店する店で手打ち蕎麦を提供する仕事に就いてほしい・・・ということだった 出してくれた給与の条件なども悪くは無かった 今のフロントの仕事よりさらに高給を保証してくれた それに・・・僕はこう思った
「蕎麦打ちを身につけて蕎麦屋になれば毎日好きな蕎麦が食える!」

僕はもう40歳を過ぎていたが・・・新しいことを覚えるということにとても興味を持った
「40の手習いかあ・・・」

僕はその申し出を受けることにした そこから僕の人性は大きな転換を向かえることになる

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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