僕のブルースマン列伝 16

さて、今日はとっても味のあるギターを弾くブルースマン 決して”一流”ではないんだが実はとても大きな役割を果たした男・・・その名は

ロバート・ナイトホーク Robert Nighthawk

本名をロバート・マッカラム( Robert McCollum )といい、1909年にアーカンソー州ヘレナで生まれました。
戦前はロバート・リー・マッコイ、ランブリング・ボブ、ピーティーズ・ボーイの名でブルーバードやデッカに20数曲程度を吹き込んでいます。1920年代中期にはウィル・シェイドのメンフィス・ジャグ・バンドに加わり活動しました。1931年はジャクスンでジミー・リードと活動し、この頃、ヒューストン・スタックハウスにハープとギターの手ほどきを受け、トミー・ジョンスンらの南部から流れ下るブルース・フィーリングを身に付けています。1950年から1960年代にはシカゴのマクスウェル通りで路上演奏をして過ごしました。1937年にはブルーバードに「タフ・ラック」などを初レコーディングしています。
トミー・ジョンソンに強く影響を受け、それにタンパ・レッドのスライド・ギター奏法を加えた独特のスタイルを持ち、マディ・ウォーターズ、エルモア・ジェイムズ、アール・フッカーなどに大きな影響を与えました。彼は1940年代初頭に最初にエレクトリック・ギターを使い始めたひとりだと言われています。しかし、レコーディングは少なく、アリストクラート、ユナイティッド、ステイツ、テスタメントに数曲吹き込んだだけです。
1967年に故郷のアーカンソー州ヘレナで毒殺されています  以上「ラジカル・ビスケット / ポップ&ブルース人名辞典」より転載

この人のことを僕はどうやって知ったのか今ではまったく覚えがない

たしかヨーロッパのマイナーレーベルから出ていたLP盤だったと思うんだがなぜかバックはアコースティックギターという妙な編成の録音だった それはたしかこれだったと思う

ところがこの人・・・驚くほどレコーディングのチャンスに恵まれてなくて、日本版で出たCHESSのオムニバスアルバムに入ってる演奏もバックが全然良くなくて彼の味を活かしてない

ギターの演奏ではオープンチューニングを使わずレギュラーチューニングでスライドをする・・・その後のマディーやエルモア・・・それに多くのロックギタリストにも影響を与えた人だと思うんだけど・・・

彼が唯一活き活きと活動している様子はなんとドッキュメンタリー映画の中で観られる

それは50年代のシカゴの黒人街の中にある「マックスウェル・ストリート」・・・そう、「列伝13」でジョン・リーが歌ってた場所だ・・・そこの様子を写した映画「And This is Free」そこでストリートミュージシャンとして演奏する彼のバンドが映ってる この映画にはほかにも色々なミュージシャンが登場するのだが、なんと当時はまだ学生で全く無名だったはずの「マイク・ブルームフィールド」まで映ってるのだ!

ただ、この映画の製作者はロバートのことを知ってたのかどうかはわからない まるで無名のミュージシャンだと思ってたのかな、映像はこんな感じだ


でも、この映画からは「ブルース」が当時のシカゴの黒人たちにとって「何」だったのかがすごく伝わってくる 彼の演奏を聴きながら楽しそうに踊る聴衆たち・・・これこそがブルースが「何のための音楽だったか」をはっきりと見せてくれる 日本人のブルースファンもほとんどこれを見過ごしているがブルースって「踊るための音楽」なのだよね

ところでこの映像の仲で彼のスライドプレイのときになるとなぜか映像がその指を写さないのはもしかすると彼自身が「俺のプレイを盗まれたくない」と拒否したのかも知れない(実際僕も見て盗みたかった)・・・昔のブルースマンはそういう理由でレコード録音すら拒否した時代があったというから・・・

ちなみにマックスウェル・ストリートは地元民の反対を押し切って2000年に廃止されたそうだ

最後は「毒殺」されるという人生を歩んだBAD LUCKな彼・・・でも、いかにもブルースマンらしいって言えばらしいんだよねえ

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする