僕の八ヶ岳話2020 .17

さて、話を本題に戻します。「CatsEyes CE-500」が僕のところへ来たのは今から十数年前、当時僕と一緒にバンドをやっていた現在は「吾妻光良とスィンギンバッパーズ」でベースを弾いている「牧裕」から僕が持ってたフラットマンドリンと交換という形でもらったものです。当時はTAYLORの「BIGBABY」というすごく安いけどムチャクチャ良く鳴るアコギが僕のメインギターでTOKAIはそれなりにいい音してたんだけど、ほとんど使われず仕舞いでした。
そのあと「SAKATA OM-28」が手に入ると、益々というか全く出番が無くなってつねにギターケースに入れられっぱなしという不運な日々を送っていたこのギターですが・・・ある日ようやく日の目を見ることになったのです。
それは僕がやっていた蕎麦屋「からまつ亭」を閉めて八ヶ岳に戻ってしばらくしてからでした。それまで東京でやっていた音楽活動が出来なくなった僕はソロで新しいコンセプトの活動を始めました。それがその後僕の音楽スタイルを大きく変えることになるアルバム「森note.1」の制作と発表でした。


このアルバムは八ヶ岳の自然の音を素材に音楽を作るというコンセプトで出来ていて、この制作がきっかけで環境音楽のようなライブも始めたのです。
そして、これがきっかけになって長野の「井戸尻考古館」と出会った僕は一気に「縄文フリーク」になってしまい(笑)その後縄文をモチーフにした演奏活動を始めたのです。
そしてその時思ったのが「何か縄文的なギターが欲しい」もちろんそんなもの何処にも売って無いし、誰も作ってくれそうもない・・・なら作るか・・・そう思ったとき長いことケースの中で眠ってるあれを思い出したのです。「そうだ、あれで作ろう!」

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