僕の吉祥寺話 53

さて、今日の人物は「太郎」さん 彼はミュージシャンではない でも、あの当時の僕らにとっては無く022てはならなかった人だ

太郎さんはあの当時吉祥寺にあったスカラ座という映画館のすぐ脇で立ち飲みのおでん屋台「太郎」をやっていたという話は前の吉祥寺話でも書いたが、とにかくあの頃僕らは彼に大変お世話になっていた
当時は確か年中無休でやってたんじゃなかったかな 北海道出身の太郎さんはとても働き者だった
毎日お昼過ぎには店に来て仕込みをする姿を見ていた
夕方には店を開け深夜まで・・・お酒や料理を出しお客の相手をし、雨の日も雪の日も休まなかった そのおでんはダシがよくきいて上品な味でその味に引かれて多くの常連客が来ていた
ただ、そのなかにはあまり有り難くない連中がいた それが僕を含むミュージシャンと称するものたちで、なにしろ金は持ってない、だらだらと居座る、騒ぐあげくは喧嘩をする・・・など本当にお店にとってみれば迷惑なお客だったと思う
また太郎さんが優しいのでそういう連中がまた甘えて実に図々しいことになっていた
い や、僕なんかその代表格だったので今でも本当に申し訳ないと思ってるけど、とにかく当時はお金が無かった、でも飲みたい・・・で、どうしたかと言うとお酒 は頼むがつまみは頼まない 代わりに「おでんのおつゆ」を頼むのだ(笑)これは無料だった それをつまみにチビチビジクジクと飲むわけで、こんな迷惑な客は僕だったら追い出すけど、太郎さんは嫌な顔ひとつせず相手をしてくれていた

その後「おでん太郎」は店のあった場所にPARCOが建つことになり立ち退き、吉祥寺の東急デ024パートの近くにちゃんと屋根のあるカウンター席の店をオープン、その何年後にはそこから斜め向かいの地下に大きな居酒屋を開いて奥さんと娘さんと一緒に今でも現役でやってらっしゃる

今年の一月に元からまつ亭の常連たちと飲みにお邪魔したが平日なのにお店は満席、訪れるお026027客がひっきりなしで大繁盛だった
太郎さんは今ではさすがにお歳をとられたが、まだまだ元気で、あのおでんの優しい味は変わっていなかった 僕はこっそりそのおつゆをちょっと飲んでみた

美味しい!・・・だけど、僕の心の中ではちょっぴりほろ苦かった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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