その「事件」が起きたのは1949年(昭和24年)7月15日だから僕が生まれるよりさらに3年以上前の話だ
駅の西側にあった車庫(これは今でもある)から突然7両編成の列車が無人で走り出し、駅の車止めを突き破り脱線転覆しながら駅前の実家に突っ込み、6人が死亡20人が負傷するという大惨事が起きたのだ
ただ、この事故がなぜ「事件」になったかといえばその当時それを企てたものがいて意図的に引き起こしたということがわかってきて当時の官憲はそれを「共産党員」の仕業だと決め付けてまたマスコミもそういう情報を煽っていたようで、当時それと連動するように次々と「下山事件」「松川事件」などという怪しげな列車事故が相次ぎ、それのすべてに当時の共産党が関っていたというデッチあげの話が広まっていた
これはどうも当時アメリカ本土でも「レッドパージ」という共産主義者に対する怖れと弾圧が強まっていたのと並行して日本でもそういう動きがあったようで、実に根が深いミステリーなのだがここであまりそれを長々と説明もしたくないので興味を持たれた方はこちら→「三鷹事件」を見てもらえればと思う
まあ話をまとめると”そういう”わけで僕が子供の頃両親と長野の実家などに里帰りしたときに「どこから来たのですか」という問いには「吉祥寺です」って言っても大抵は首を傾げられた(今では「住みたい街ナンバー1」なのにね)ので「三鷹です あの”三鷹事件”の」と言うと
「ああ、そこですか」という反応があったのだ
ところでその事件の現場だったところ・・・今はこんな感じになっている
道に挟まれて橋がかかっている その下を流れているのが「多摩川上水」だ