仲田修子話 123

ところで、「ぐゎらん堂」で初めて「仲田修子とペーパーナイフ」のライブを観たとき筆者はあるひとつの疑問を持った 修子の出で立ちや所作については先に述べたとおりなのだが、その両サイドでバックをつとめる2人の若者がちょっと違う・・・というか何故か同じバンドのメンバーという風には見えなかったのだ

ギターを弾いてる方の子はなんだかいつもニコニコしてるのだがどこか頼りな気で、反対にもう1人ベースを弾いてるほうは何だかつまらなそうにふて腐れてやっているようで(あとでそれは彼がツッパっていたからだと知るのだが)眼鏡を掛けてものすごくインテリに見える修子とその2人とのギャップが不思議で・・・筆者は勝手にこう想像した

「これはきっと社会的に更正が必要な2人の若者をこの仲田という人は更正施設のケアマネージャーか何かで、2人を社会復帰させるためにこういう形で活動しているのではないか・・・」と

もちろんそういった経緯ではないことはここまで話を読んでいる方は先刻承知と思うが、本当にそう感じたのは・・・ある意味では完全な間違いでは無かった・・・

そう思うようになるのはもう少し後のことなのだが

そしてぐゎらん堂で出会った修子から誘いを受けて筆者はその1~2週間後、指定された場所にギターを持って出向いた

そこはJR山の手線の「目黒」から徒歩で10分くらいのところにあった「ちゃばん」という店だった 店内に入ってみて驚いたことに、そこはライブハウスというよりはお洒落な喫茶店かパブといった雰囲気で、それまで中央線沿線の「ぐゎらん堂」とか「西荻窪ロフト(注)」などのようなアングラっぽい今で言うところの「サブカル的」な店しか行ったことの無かった筆者は、なんだか妙に都会的で(山の手線沿線だったし)お洒落な店にちょっと戸惑っていた そしてそこに来ている客層も皆小ざっぱりとしな服装で、あきらかに「都会!」といった空気が満ちていた

その店でも「仲田修子とペーパーナイフ」の人気は絶大で、満席になるほど詰め掛けた客席から彼女たちの演奏に対して熱っぽい声援と拍手が沸き起こっていた

そこで筆者も数曲歌わせてもらい、また修子バンドにゲストとしてギターで参加した

ライブが終り帰りがけ、修子は筆者にこう話しかけた

「今度よかったら家に遊びに来ませんか?」

注;西荻窪ロフト 1970年代にJR中央線の西荻窪にあったライブハウスで1973年にオープン この店はスペースの都合もあり「フォーク系」の出演者ばかりだった その後ロック系が演奏できる「荻窪」「下北沢」そして「新宿」・・・と次々にチェ-ン展開していった 現在でもロック文化の殿堂となっているが、その原点とも言える西荻窪店は現在は無い

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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