仲田修子話 17

ここでもう一度仲田家の家族についておさらいしておこう

父豊三郎と母千代は見合い結婚だった 戦争が終わる直前昭和20年6月に結婚した二人は最初は目黒区の祐天寺に住み、修子が生まれるとすぐその後豊三郎の勤める会社の社宅のある品川に引っ越した 父親はなかなか優秀なエンジニアで、会社で新しい機器を開発して特許も取っていた しかしその特許権は彼の会社に帰属させられてたのでそれに対する恩恵はほとんど無かった ゆくゆくは資金を貯めて自分自身の会社を創業する、それが彼の目標だった 母の千代はとにかく頭が悪く無教養でヒステリックでどうしようもない女だったが、唯一の長所といえば「美人だった」ということだけだった 僕も年老いてからの彼女を知ってるが、確かに整った容姿をしていた しかしこの母はこの後あまりにも長いこと修子のお荷物になり続けることになる 2歳年下の弟の幹夫は幼少時代から修子が付きっ切りで面倒を見たり一緒に遊んでいたので仲が良かった 仲田家では父親の教育方針で夕食のあとは必ず果物を食べながらその日学校でどんなことがあったかを話すような習慣があった そんなごく普通の・・・むしろ普通より恵まれた境遇の仲田家だったのだが・・・

ある日、小学校の校庭の隅の鉄棒のところに独り佇んでいるとき修子には突然ある思いが湧き上がってきた それは

「私はこの先決して今グラウンドで遊んでいる子供たちのような陽の当る人生は送らないだろう」

それは予感というよりものすごくはっきりとした確信だった まるで「アポロンの神託」のようだった

その頃こんな夢を見た

暗い中に4本の滑り台があって彼女と父、母、弟がそれぞれの滑り台に乗って暗闇の中を滑り落ちてゆく 暗闇の中4人はどんどん離れてゆく・・・そういう内容だった

それが何を暗示していたのか・・・やがてその意味を知ることになる修子だった

そして小学校を卒業した修子は中学生になった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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