修子たちの叔母が彼らを学校に迎えに来た時はすでに危篤状態だった父親 周りはそのせめて死に目に間に合わせようとしたのだがそれは叶わなかった
そして父親が眠る病室に入りその遺体と対面した・・・はずなのだが修子はそのこともほとんど覚えていないという
「わたしはきっとあの地面が足元から崩れるような感覚に襲われたときほとんど気絶してたんだと思う」・・・と修子は語る
そのあともその状態が続き父の急死のショックと悲しさで修子はとても正気で居られず家で寝込んでしまい葬式にも出られなかった それを叔母からは勘違いされて「修子は自分の父親の葬式にも出ない」と批難された
父親はすい臓が悪くて数日間入院していたのだが手術を受けた翌日に亡くなった・・・今思うと医療ミスだったのではないかという疑いもあるが、母千代には全くそのことを把握するどころか想像することさえできなかったようだ 修子の父親の血液型はRHマイナスのAB型だった ということは2千人に1人くらいの率になる(現在の数値だが)・・・大量出血をしても輸血用の血液が間に合わなかった・・・そんな可能性も考えられる しかし、今となってはそのどれもが手の届かない闇の中に葬られてしまった
父の死から受けた修子のショック状態は一週間以上続いた もう完全な放心状態で起き上がることすらままならなかった
その中、母と親戚がが話しているこんな事実が耳に入ってきた 父はゆくゆくは事業を始めようと貯蓄をしていて東京に家を一軒くらい買えるくらいの金と株券を遺していたということだった 東京に家を一軒持つということは今でいえば5千万円くらいだろうか・・・
ところが、父の死後母親はまたとんでもない行動に走る
それまでもわけのわからない新興宗教に入ったりしていたのだが、夫の死をきっかけにか、某大手の新興宗教の信者になってしまったのだ それだけならまだいいのだが、それがとんでもないものを引き寄せることになる
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