その話はシバから来た
URCレーベルから一枚目のアルバム「青い空の日」を発表して全国的にもかなり名前の知られてきていた彼に今度はメジャーのレコード会社「CBSソニー」から二枚目を出さないかという話が来たのだ
当時僕からの影響もあってシバはかなりジミー・ロジャースに傾倒していた 彼の作る曲にもその影響がかなり色濃く表れていてヨーデルの入ったナンバーなど一枚目に比べるとかなり「カントリー色」が強いものになっていた
そこで僕に白羽の矢が立ったのだ 当時僕もジミーにかなり影響を受けていたので「ハワイアンスライドギター」とかバンジョーとかを弾き込んでいた そりゃあ「ジミースタイル」でやるなら僕でしょ・・・そういう自負もあったのだが
とにかくシバのアルバムにスライドギターとバンジョーで参加させてもらうことになったのだ
いやあ、ほとんど経験のなかった僕にはウソみたいな話だったがもちろん喜んでお受けしたよ
そしてレコーディングの日が来た 麻布にあった「十番スタジオ」だったかな・・・すごく立派なスタジオだった レコーディングディレクターは当時高田渡などとも仲の良かったシンガーでバンジョー弾きの「岩井宏」・・・彼はオールドスタイルの「フレーリング」という奏法で「紙芝居」などという曲を発表していた・・・当日スタジオに入ったとき僕が持っていったバンジョーがお粗末な安物だったので岩井氏が彼の「VEGA」のロングネックバンジョーを貸してくれた これがものすごくいい音だった!
その録音で僕はスライドギターを4曲、バンジョーを2曲、そして普通のリードギターを1曲で弾いた
そしてそのアルバムの最後に入った曲「ユーアーマイサンシャイン」では僕だけでなくメグ(ピアノ)、当時シバのマネージャーだったワダさん(ボーカル)ノッテくん(ジャグ)そして春樹さんがハーモニカと歌で参加している この演奏は当時のぐゎらん堂で連日のように繰り返されていたバカ騒ぎをそのまま録音しちゃったような感じでその楽しい雰囲気は今聴いてもあの当時のままだ
いやあ、このレコーディングは僕にとっては記念すべき初仕事だったし楽しかったし色々な思い出がある
このアルバムはCBSソニーから「コスモスによせる・シバ」というタイトルで発表された
その後廃盤になり長いことCDとして世に出なかったが(それもあってシバはまったく別のメンバーを入れて再レコーディングしている)最近またどこかから復刻されたようだ 興味のある方は探してみてね
そういうわけで気がついたらなんだかミュージシャンとして自覚もないままに演奏活動をスタートしてしまった僕だが・・・試練の日々もそこからスタートしたのだ
続く
高円寺ライブハウス ペンギンハウス