僕の吉祥寺話 18

シバのアルバム「コスモスによせる」に参加することで、なんとなくだが僕は急にミュージシャンそれも「プロ」として周りからは見られるようになってしまった

昨日も言ったけど本人には何の自覚もないままにだ 今じゃレコーディングなんて別に普通に誰でもやってるしCDを作ることも何のハードルがないけど当時は「レコード」を出すなんてけっこう「凄いこと」と思われていたからかも知れない

アルバムを発表したシバにはライブのオファーがけっこう掛かるるようになり、それにつられて僕にも彼のバックで演奏すると言う話が少しずつ来るようになった 当時は「ライブ」という言葉はまだあまり使われていなかったかな・・・

その翌年の大阪で開かれていた「春一番コンサート」にもシバのバックで参加したなあ・・・右の写真、マイクスタンドで顔が隠れてるのが当時21歳の僕だ(二人とも若いわあ)

初めて行った大阪の天王寺野外音楽堂 (今でも毎年「春一番コンサート」は開かれてるけど会場は「服部緑地」に変わった)は雰囲気がむちゃくちゃある会場だった・・・周りはいわゆる「新世界」 大阪のエッセンスがサイケデリックなくらいに濃くて面白かったなあ

だけどプレイヤーとしては自分は”まだまだ”と思ってたので内心は穏やかじゃなかった とにかく上手くならなくちゃ・・・そういう思いで当時はとにかくギターの練習だけはよくやってたなあ

おかげで「学業」のほうはすっかりお留守になってたけどねえ(笑)

そしてギターだけではない その頃までに僕はかなりの曲を書き貯めていた 「自分も人前で歌いたい」・・・そういう欲求もだんだんと高まってきていた そんな僕を受け入れてくれた場所があった それは・・・

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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