僕の吉祥寺話 24

さて、ちょっと間が開いたが話をまたぐゎらん堂に戻そう

いつだっかははっきりした記憶が無い まあ調べればわかるんだけどメンドウなので、多分シバの「コスモスによせる」の録音があってしばらくのことだったと思う とにかくその年だったのは間違いない

ある日、シバから連絡がきた 「ちょっと相談したいことがあるからぐゎらん堂まできてほしい」とのこと そこで行ってみると店にはシバと「ワダちゃん」が待っていた ワダちゃんとは「如月ミュージック」という音楽プロダクションの人で当時はシバや武蔵野タンポポ団などのマネージャーをやってた人だ 僕が席につくと「実は・・・」と二人が話を切り出した

「ウディーとコウタロウ」がタンポポ団を辞めるって言うんだよ・・・」 その噂はすでに薄々だけど僕の耳にも入っていた「 ウディー」とは本名若林純夫という 「コウタロウ」は山本厚太郎・・・旧い人はご存知だと思うが昔「ソルティーシュガー」というバンドで「走れコウタロー」という曲その後「岬めぐり」なんて曲でもヒットを飛ばしたシンガーだ

元々コウタロウ氏に関しては僕は前から「なんでこの人タンポポ団にいるんだろう?」とちょっとギモンを感じるような存在だったので「辞める」と聞かされても「ああ、そうか」ぐらいにしか思わなかったが、問題はウディーのほうだ 彼はシバと並んで元々この武蔵野タンポポ団を作った中心人物だったし彼が訳詞してボーカルをとってた「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」はタンポポ団の中でもすごく人気のある目玉商品だったからだ

これはあくまで僕の「憶測」に過ぎないんだが・・・当時コウタロウ氏はラジオのパーソナリティーを務めるようになってきていて、そこらへんから「吉田拓郎」との付き合いが大きくなってきていた 何しろ後に『誰も知らなかったよしだ拓郎』なんて本を出版したくらいだから・・・そしてちょっとコウタロウに誘われて若林も「そっち」のほうに食指が動いたのかも知れない

現にその後のコウタロウのラジオ番組に若林がちょろちょろ出ていたのは僕も覚えている

さて、話は元に戻るが・・・「それでさ」 とワダちゃんが切り出した

「その穴埋めに矢島くんにタンポポ団に入ってもらえないかなと思って・・・」

え!えっ!え~っ!・・・今なら「じぇじぇじぇじぇ~!」な話だよ

当時武蔵野タンポポ団といえばそれは人気のあるバンドだった 「飛ぶ鳥を落とす勢い」と言うと言い過ぎかもしれないが僕にとってみればそれこそ草野球の選手がいきなりプロのそれもメジャーなチームに誘われるようなもんだ

さあ、どうしよう・・・続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする