僕のブルースマン列伝 6

サテ、僕のこのシリーズも6回目になってふと思ったのだけど、今まで男性のブルースマンばかり紹介してきてそういえば「雇用機会均等法」も施行されて女性の紹介もしなくては片手落ち・・・と思うのだけど・・・女性のブルースマンそれも「自分で楽器を弾きながら歌う」というカテゴリーに絞ると非常に少ないのが現実で、僕が知ってるのに限るけど「ビッグ・ママ・ソートン(harp)」「ビクトリア・スピビー(piano)」ぐらいかなあ 特にギターを弾くそれもすぐれたプレイヤー・・・と言うとほとんどこの人しか思いあたらない

それが メンフィス・ミニー(Memphis Minnie) だ

以下、プロフィール

1896年(1895年、1897年説もある)ルイジアナ州アルジェで13人兄弟の長女として生まれました。小さい頃に父親に買ってもらったバンジョーを覚え、ギターは15歳で手にしました。メンフィスの街角やハンディ・パークで演奏して、キッド・ダグラスの名前で知られるようになります。1929年にスカウトされニューヨークでコロンビアに初吹き込みしています。自身の歌とギター演奏に、夫であるジョー・マッコイのギター伴奏を加えた「バンブル・ビー」は有名です。
彼女は生涯に三人のブルース・マンと結婚しています。最初の夫は、当時メンフィス・ジャグ・バンドの一員だったケイシー・ビル・ウェルダン、二番目の夫はジョー・マッコイ(カンザス・ジョー)、三番目の夫はリル・サン・ジョーです。いずれも一緒に演奏活動しています。
1930年にはシカゴに移り、ここでも一線級の女性ブルース歌手として人気を保ち、「ブルー・マンディー・パーティー」などの曲が有名です。1935年にジョー・マッコイと離婚してからは、ピアノやホーンを取り入れ、より都市化されたブルース色を強め、1941年にはエレクトリック・ギターも演奏しています。代表曲は「フードー・レディ」、「ミー・アンド・マイ・チョウファー」などがあります。
戦後の録音はシカゴの独立レーベルのひとつであるJOBです。1957年になるとメンフィスに戻り、1960年に卒中で倒れてからは闘病生活を送っていましたが、1973年の夏に亡くなりました。
1924年から1954年までという長い期間に200を超える曲を録音し、数多くの傑作を残しています

写真を見てもらえばわかると思うけどなかなかの美人だ まあ3回も結婚するのも無理は無い(?)

その3人の夫たちも全員かなりすご腕のミュージシャンばかりで特にこの⇒ジョー・マッコイ(カンザス・ジョー)とは名演奏を沢山残している

ミニーのスゴイところはとにかくギターテクニックがムチャクチャ上手いというところ 上手いだけでなくそのサウンドは実に”男性的”で、同時期人気絶頂だったビッグ・ビル・ブルンジーとギターバトルをして勝っちゃったというエピソードがあるほど これを聴いてください


それになんというかこの美貌・・・堪らないねえ(笑)

almost-lost-mind

さて、ブルースウーマンといえば数少ないが日本にもいるのです 何を隠そう今ぼくが一緒に演奏

活動しているシンガー仲田修子 去年彼女が発表したCD「ALMOST LOST MIND」

なかなかの名盤だと自負しておりますがそこから制作された動画を

ごらん下さいませ 曲は「ST.LOUIS BLUES」ギターはわたくしが弾いておりますです

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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