しかし同時期に吹き込んだサン・ハウスの演奏を聴くとやはりインパクトが弱かったのかも知れない ここでのサン・ハウスはやはり素晴らしい
1930年に吹き込まれたサン・ハウスのこの曲にはもう1人ギタリストが参加している これがもしかするとウィリー・ブラウンなのかも知れない と言うのも当時ウィリーはソロよりもサン・ハウスやチャーリーパットンのサイドマンとして演奏していたことが多かったからだ
パットンの死後はハウスと一緒に行動していたようで1952年にウィリーが亡くなるとハウスもそれをきっかけに演奏活動を止めてしまったそうだ
そして1963年にハウスは「再発見」されその後は76年まで精力的に活動をした
おかげで今でもサン・ハウスの音源も動画もものすごい数が残されている
あの時代のミシシッピデルタブルースを若い世代に伝える文字通り「伝道師」の役割を果たしたわけだ(ちなみに現役引退をしていた間の彼は本当にキリスト教の伝道師をしていた)
ところでかの有名な民俗研究学者のアラン・ロマックがフィールドレコーディングをした中で1942年に録音した音源の演奏者が「Willie 61 Blackwell & William Brown」となっているが(クレジットはWillie ではなくWillimになっている)歌っているのはブラウンではなく多分サイドでオブリを入れてるのが彼なのかも知れない
さて・・・最初のテーマに戻る
ロバート・ジョンソンが「Crossroad Blues」の中でなぜ「My friend Willie Brown 」と歌ったのか・・・もちろん交流があったのは間違いないが
すごく意地悪な分析をしてみた この名前の部分を「Son House」や「Charlie Patton」にしてみよう すると語呂が悪くて歌い辛い つまりジョンソンは歌いやすさを優先でブラウンを使ったのでは・・・ いやいや、それでは可哀相だね
きっとウィリー・ブラウンて本当に面倒見が良くてジョンソンが困った時には親身になって世話をしてくれたなのだろう・・・そう思いたい
ブルースの歴史の中ではその人物がどんな人柄だったのか全然わからない人も多い
ウィリー・ブラウンも謎が多いブルースマンの1人だ
名前だけはこれだけ残ってるのに ではもう一度映画のウィリーを
「もう一度ブルース」はとりあえず今回で終了します
明日からはGW特集記事を少しばかり お楽しみに!
高円寺ライブハウス ペンギンハウス
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