僕のブルースマン列伝 15

さて、今日は戦後のブルースマンの中で僕が一番好きな・・・というより”リスペクト”している人を紹介しよう それは

ロバート・ロックウッド・ジュニア Robert Lockwood Jr

ロバート・ロックウッド・ジュニア(Robert Lockwood Jr.または Robert Jr. Lockwood1915年3月27日2006年11月21日)は、アメリカ合衆国出身のブルースギタリスト歌手1950年代から1960年代にかけてチェス・レコードをはじめとするシカゴのレベールと契約し、作品を残した。また、長きに渡ってサニー・ボーイ・ウィリアムソンIIの共演者であったことでも知られている

ヘレナの西に位置する村、ターキー・スクラッチ生まれた。8歳の頃から彼の父親の教会でオルガンを習い始めた。両親は離婚し母親に引き取られたが、彼女が再婚した相手が後に広く知られることになるブルース・ミュージシャン、ロバート・ジョンソンだった。ロックウッドは未だ10歳頃、彼からギターを教わり出した。ジョンソンの教え方は手本を1度切りしか見せてはくれない厳しいものだったが、一度基礎を理解したロックウッドはそれを砂漠が水を浸み込ませるように吸収していった。ロックウッドはさらに、ジョンソンから演奏のタイミングやステージでの立ち振る舞いなど、プロのミュージシャンとしての数々を教わった 15歳の頃にはヘレナ地区のパーティーなどでプロとしての演奏をこなしていたロックウッドは、ジョンソンやサニー・ボーイ、ジョニー・シャインズらともしばしば共演していた。1930年代、彼はジューク・ジョイント(ブルースを聞かせるくだけた盛り場)やフィッシュ・フライ(ジューク・ジョイントなどで料理「フィッシュ・フライ」を主餐に行われた週末のパーティー)、時にはストリートミュージシャンとしてミシシッピ川のデルタ地帯一帯で演奏活動を行った。1938年から1939年にかけて、サニー・ボーイとクラークスデイルで共演。また1938年前後には、メンフィスで、ハウリン・ウルフを始めとするブルース・ミュージシャンと共演している。1939年から1940年にかけては活動域を拡げ、ミズーリ州セントルイスイリノイ州シカゴ、ヘレナの3か所を行き来して活動した[1]。またこの頃、メンフィスでB.B.キングとステージを共にしたことがあり、ロックウッドは彼に音楽上の影響を及ぼしたとも言われている。またサニー・ボーイとともにヘレナ地区にあるKFFAラジオの現在も続くブルース専門の長寿番組『キング・ビスケット・タイム』の司会進行を務め始め、番組中でバンド『キング・ビスケット・エンターテナーズ』を結成、生演奏を披露した。このペアはラジオ出演以外にもヘレナ地区を中心に公演も行った。一方でロックウッド自身の活動も1940年代後半まではアーカンソー州を拠点としていた。しかし1950年にはシカゴに移り住みサニー・ボーイのチェス・レコードから発売された2枚目のアルバムにウィリー・ディクソンオーティス・スパンらとともに加わった。その他にも、リトル・ウォルターサニーランド・スリムエディー・ボイドマディ・ウォーターズらとの共演も果たした。

1961年にはオハイオ州クリーブランドに移住。 1960年代半ばに一度引退。しかし1972年にカムバックした。1980年代初頭からはジョニー・シャインと活動を共にし、また日本で出演したライブもアルバム化している。1989年にはブルースの殿堂入りを果たした。晩年も活発な音楽活動に取り組みつつも、住居があるクリーブランドでは毎週水曜日の夜8時に都心部のレストラン・バー『Fat Fish Blue』で演奏を聞かせていた。

2006年11月21日、呼吸不全に陥り、入院先のケース大学医療センターで亡くなった。

・・・とWikipediaからの紹介をかなり省略してもかなりの長さなのだが、とにかくあのロバート・ジョンソンからの影響から始まった彼のキャリアは亡くなる直前まで続き、老いて衰えるどころか80代を過ぎてさえ自己啓発を怠らず新しいものにも挑戦し続けたという本当に「偉人」と言えるようなブルースマンだった

このロックウッドの初来日を僕はあの「スリーピー・ジョン・エスティス」と同じパックのブルースフェスティバルで観た

その直前に「予習」として当時デルマークレーベルから出たばかりだった彼の初リーダーアルバム「STEADY ROLLIN’ MAN」を入手して聴いた その時の印象は「???」だった

自分のリーダーアルバムでありギタリストとして「偉大な」という形容詞がついていた彼のこのアルバムはあまりにも「地味」で正直「しょぼいなあ・・・」と、当時B・Bキングやバディー・ガイなども聴いていた僕には妙に盛り上がりのない作品に思えたのだ

とにかくどの曲でもほとんどリードを弾かない 弾いてもほんの形ばかりのソロをちょこっと弾くだけ 1曲だけ入っていたギターインストも妙にジャズっぽいカンジで当時の僕にはその良さが理解できなかったのだ

そしていよいよあの「ブルースフェスティバル」の日がやってきた

大歓声の中エスティスらが引っ込みしばらくして幕が上がる ギラッとスポットなどの照明が輝く中ですでにステージでスタンバってたロックウッドとその時のバックの「エイシズ」の演奏が始まった

するとそれはあのアルバムとはえらく違うなんだか妙にきらびやかでガツンガツン来るようなサウンド とにかく音がデカい! その前のエスティスたちのアコースティックサウンドにならされてた耳はこの音にまずびっくり!

そしてその演奏は・・・僕は実はその時は「ぽか~ん」と狐につままれたような状態のままだったのでその時の演奏がどんなものだったのかイマイチ実感できずにライブが終わってしまった

ただ、後日発売された彼らの「Live in Japan」を聴くとこれはもう「すごい~!」としか言いようのないロックウッドの魔法のようなギタープレイがはじめて実感できたのだ

特に「Stormy Monday」とか「Going Down Slow」で聴けるロックウッドのギターソロはもう「鬼神」としか言いようのないプレイで僕もなんとかコピーしようと努力したが・・・すぐに挫折した


B・B・キングもマット・マーフィーも日本では吾妻光良も・・・多くのギタリストが彼から影響を受けている この映像は2度目に来日したときの模様で、変わらず達者で華麗なギターは素晴らしい あと僕は彼の決して上手くはないのだが暖か味と味のあるボーカルも好きだ

でも、僕が一番リスペクトするのはバックギタリストとしての彼の卓越したテックニックとセンスだ(サニーボーイ・ウィリアムソンの曲「SMALL VILLAGE」ここでギターを弾いてるのはたしかロクウウッドだと思う 違ったとしても彼の弟子の誰かで完全にロックウッドスタイルだ)何よりそれがすごいと思う ジミー矢島のバッキングギターの師匠は間違いなく彼だ


そして今・・・あの「STEADY ROLLIN’ MAN」を聴くと本当に涙が出そうになる

本当に最高のギタリストが そこにいる

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする