僕の吉祥寺話 41

さて、話は変わる

あのJAMというイベントをきっかけに出会った新しい音楽仲間 佐藤ガンさんと朝比奈ヤスト

その後僕ら吉祥寺の音楽連中の仲間入りしたのはいうまでもない

そして、僕はガンさんに頼まれて彼のバックをやったりガンさんが担当していたNHKの教育番組ガンサンの中の少年ドラマ「僕が僕であること」の劇中挿入曲の演奏なども頼まれてやったりとか、色々な付き合いが始まった

ヤストとも同じ「ブルース同好会」としてよくセッションや一緒に演奏することも増えてきた 当時彼は僕をギターの「先生」などと呼んでいた(笑)

ガンさんにはいいオリジナル曲がいっぱいあった JAMの頃からやっていた「時間がありすぎて」とか「あんた」とか「なおちゃん」とか「かま猫のブルース」とか・・・

そしてそんなガンさんにレコーディングの話が飛び込んできた その話を持ってきたのは当時発index足したばかりのキングレコードの中のレーベル「ベルウッド」だった

そして、ガンさんから「召集」がかかった あれは76年の夏だったと思う・・・

ガンさんを囲む当時の吉祥寺選りすぐりの・・・そしてもっとメジャーなプレイヤーたちも参加してレコーディングの段取りが進められていた

そのタイトルは「青空」となっていた

それこそ「吉祥寺オールスターズ」と言ってもいいくらいのメンバー・・・名前をあげると

佐藤博(vo/ag)、村瀬雅巳(b)、村上律(steel g)、中川イサト(ag)、佐久間順平(mandolin)、松田幸一(harp)、朝比奈ヤスト(harp,dobro)、青木とも子(vo)そして僕矢島たかし(ag/banjo)
イサトリツアリチャンアオキ

そしてメジャ-というか当時のティンパンアレイ系から 村松邦男(eg)、吉田健(b)、河合徹三(b)、斉藤ノブ(per)、当時来日していたアメリカの黒人プレイヤーJimmy Hopps(ds)さらには細野晴臣(ag)なんてすごい人たちが・・・
ムラマツヨシダケンサイトウノブ

あともう一人・・・まだピアノが決まってなかった ガンさんがみんなに尋ねた 「誰かいいピアニスト知らない?」

するとヤストがこう言った

「僕の行ってる芸大の音楽科にすごいピアノ弾く友人がいるけど紹介しようか」

それはいい・・・ということで後日 その”友人”がヤストに連れられてやってきた

で、その男とは・・・続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする