さて、今日の人物は「佐久間純平」だ
僕より一つ年下の彼は今でも活発に音楽活動を続けてる
あの頃の吉祥寺の仲間の中でもそれはずば抜けている テレビでもしょっちゅう彼の姿を見る 今や「フォーク系」のフロントマンにとってみれば彼くらい有難いミュージシャンは居ないだろう 何しろ一人でギター、マンドリン、バイオリン、コーラスが出来てアレンジまで出来て、ライブ後の打ち上げの仕切りまでやってしまう(笑) 最近のテレビのフォーク番組には彼が出てないほうが珍しい
そ んな純平が僕らの前に現れた頃・・・彼は大江田信と「林亭」というアコースティックユニットを組んでいたが、当時から彼のプレイヤーとしての実力には定 評があり、それが高田渡とヒルトップストリングバンドを組むきっかけになったわけで、彼らの付き合いは渡が亡くなるまで続いていた
今思えばあの頃の彼はかなりの論客だった 歳も近くお互い現役の大学生だった僕らはよく一緒に飲んでは話をしたが、討論みたいになると彼にはいつも理屈で負けていた
そんな彼だったから大学を卒業したらさっさと音楽なんか辞めてどこかの一流企業にでも入るんだろうなあ・・・と僕は勝手に決めつけていた
ところが、彼はそんな気はさらさら無かったようで、大学を卒業するとそのま迷わず音楽の道へと進みそして今もやっている
あれだけ「硬派」だった彼がかなり自分を(たぶん)抑えて佐藤宗幸や南こうせつなどのバックを努めているのにはちょっと頭が下がる
そ ういえば数年前、浜松で「バサラ」という店をやっていたトモジさんという人が企画してくれて純平とツーマンでライブをしたことがある 僕は八ヶ岳から自分の車で、純平はその日は名古屋でこうせつのコンサートの仕事があって、終わってから新幹線で浜松駅に到着、それをトモジさんと一緒に駅 まで迎えに行った
最終の上りが駅に到着、乗客に混じって階段を降りてくる純平・・・ 大きなバッグ、それにギター、バイオリン、マンドリンを抱えてやって来た彼の姿を見て僕は思った
「俺にはできないなあ〜」
純平、身体には気を付けてな!
高円寺ライブハウス ペンギンハウス