僕らの北沢話  20

いよいよ・・・その日のメインアクト「高田渡&ヒルトップストリングバンド」がステージに登場した 客席からは当然この大御所が率いる人気バンドへの期待をこめて大きな声援が飛ぶ その様子を修子たちも演奏を終えて舞台の袖か客席の隅で見ていた

ところが・・・足元もおぼつかない様子の彼ら 明らかに酔っ払っているのがわかった そしてマイクの前に座り演奏が始まった・・・が、しかしそれは「曲」にはならなかった

演奏を始めるとすぐにメンバーの誰かが楽器の弦を切った 演奏を中断して弦を張替えまた始める・・・すると今度はほかの誰かが弦を切る また中断して張りかえる ひどいときには1曲の中で3回も弦を切るものまで出る始末 明らかに全員が泥酔状態だったのだ

「結局」・・・と当時を振り返って修子が言う

「結局最初から最後まで1曲としてまともに演奏できた曲はなかった 演奏が成立しなかったんだ 私はもう呆れ果ててそれを見ていた」と

言っておくがこれはアマチュアが趣味で宴会か何かで演奏しているのではない 彼らはれっきとした「プロ」だったはずだ 僕も昔何回かそういう学園祭のコンサートに呼ばれて歌いに行ったことがあるが、はっきり言って「学祭の仕事」は美味しかった 普通のライブとかとは違い、こういうイベントにはその主催者に大抵は学校側からかなりの予算が出る それもあるから主催者もかなり有名な大物を呼ぶことができるわけで、だから当然出演者に払われるギャラもかなり良かった(今はどうかimg09知らないが)のだ 学祭シーズンは稼げる・・・それが音楽で身をたてているものたちにとっては常識になっていた そして当然企画者は自分の好きな、あるいはリスペクトするミュージシャンを呼ぶ・・・当然この日ヒルトップを呼んだ主催者もそういう思いがあったのだと思う

ところが、そのとき目の前に居た連中はべろんべろんに酔っ払って彼らの「仕事」であるはずの演奏がまるでできない状態の醜態を大勢の目の前に晒していたのだ

修子たちが親しい友人がその主催者のなかに一人いた その人物があとで語ったそうだが「まったく何てやつらだ!」・・・と主催者のリーダー的な人物は苦虫を噛み潰したような顔でそう吐き捨てるように叫んでいたという

言っておくが仲田修子という人はうそをついたり物事を捻じ曲げて人に伝えたりすることが大嫌いな人間だ この話をしたときも「言っておくけど、これは本当にあったことだからね」・・・とくり返し念を押しながら語ったので、当日本当にこういうことになっていたのだろう

そして、その後しばらくして「ヒルトップストリングバンド」は解散し高田渡はますます酒を呑んで演奏するという200110025851悪習慣の深みにはまっていき・・・そのあとどうなったかはもう僕が話すまでもないと思う

そしてその頃を境に「日本のフォーク」というものが見る見る衰退していったのは、僕は偶然ではないと・・・今でも思っている

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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