僕らの北沢話  21

さて、その大学での学園祭が終わってしばらく経ってからのことらしいが、吉祥寺のある場所で偶然仲田修子と高田渡が遭遇したことがあったそうだ

そのとき渡の方はちょっと遠くのほうから聞こえるとも聞こえないともいえないほどの声で修子に向かって何か呟いたそうだ それは小声で「国立第七養老院・・・養老院・・・」と彼女の歌の一節を歌うように・・・・ 明らかに彼女とコンタクトを取りたがってる・・・そういう風だったらしい

それに対して修子が取った態度は・・・「私は毅然として完全に無視した」

あんなステージングをするような輩はとにかく自分にとっては「仲間」ではありようがない

自分に対しても厳しい彼女は当然他人に対しても同じスタンスを取る

仲田修子と高田渡が遭遇したのはその日が最後・・・二度と会うことはなかった

ところで、当時の吉祥寺の周辺にいた人物でもう1人修子たちに接近してきた人物がいた

その人物はその後色々なことをして僕らをかなり翻弄するような行動に出たのだが・・・

そのきっかけは当時池袋のあるデパートの屋上でのイベントだった その屋上には特設ステージが設営されていて、確か月に一度ぐらいのペースで「仲田修子&ペーパーナイフ」がそこに出演していた 僕も大体毎回そこに行っていたのだが、デパートの屋上って大体殺風景なものだが当ガーデン時はたしかビアガーデンをやっていたのだと思う そのビアガーデンの付属施設として作られたらしいステージ・・・たぶん夜にはそこに来るお客相手に生演奏とかしてたんじゃないかと思う

そのステージが昼間は空いている・・・たぶんそれが動機なんだと思うけど、そのデパートの企画担当をしていた社員が仮にAとしておこう・・・知り合いの音楽関係者に相談をもちかけ「誰かここに出演してくれるミュージシャンを紹介してくれ」ということでその男、仮にMとしておこう・・・が顔見知りだった修子たちに「出ないか」と声をかけた

ギャラはまあ大したものではなかったが自分のバンドで出演してオリジナルを歌っていいからという条件なので修子たちはこの依頼を引き受けた そこのステージには日替わりで色々な出演者が出OLYMPUS DIGITAL CAMERAていた 都会の真ん中のビルの屋上というなかなか殺風景な場所ではあったが、日中のデパートの屋上なんてのどかなもので親子連れやデート中のカップル、暇そうな老人など・・・ぽつりぽつりと居る人たちに向かって自分らのやりたい曲を演奏する・・・それは悪いものではなかった

しかし・・・このイベントはその後あることが原因で頓挫することになってしまった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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