僕らの北沢話  27

原田寛治師との夢のようなレコーディングセッションが終りその後の録音作業はどうなったか・・・

残念ながら事態はむしろ悪い方向へ進んでいた Mが色々なことを言い出したのだ 曲のアレンジや編成のことだけではなくついには修子バンドのメンバーのことにまで口を出し始めたのだ

とくに彼がやり玉にあげたのが増田のベースについてで「彼のベースはノリがよくない」とあからさまに批判し、それは口には出さなかったとしても明らかに彼をこのレコーディングから除外して自分が替わりにベースを弾くということだという本音がはっきりと読めた

こういうことは今だにあるようだが、あるバンドがメジャーなどでデビューしようとするとそのメンバーsilverbeatles11の中から「売れそうな」あるいは「上手い」メンバーだけを残して他はクビにする、たとえばBEATLESがそうであったように・・・こういうことが当時の音楽業界では当たり前のように行われていた Mは元々メジャーのバンドでもプレイしていた人間なので彼にとってはそれが何でもないことだったのかも知れない しかし、その発言が修子の最終的な怒りに火をつけた

「私はあのこたちを見捨てることなんて絶対にしたくない!」

泣きながらそう話した彼女の顔を僕は今でもはっきりと覚えている

もしその時彼女がそれを受け入れてレコーディングを続けてたら、その当時かなり評判になって売れっ子シンガーとして歴史に名前を留めていたのかもしれない でも、実はその前にもいくつものレコード会社のプロデューサーからオファーを受けていた修子だった それを断り続けていたのはそういう連中が要求してくる本当に馬鹿げた企画などに辟易していたからだ

そして今度は話が少しはわかるかも知れないと思わせたMでさえ結局そういった連中と同類であったということを知った以上、修子が彼らの望みをかなえる必要はまったく存在しなかった

結局もめにもめた挙句このレコーディングは中止そして永久消滅、Mとそして元々は身内であっimg36eb88e3mdvp9oたはずのマネージャーJとも僕らは縁を切った それも永遠に

そして、その一連のゴタゴタの中で修子はある決意を固めていた

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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