僕の八ヶ岳話 26

年が開け相変わらずせっせと働き続けて、なんとか新居への引越しのためのわずかばかりの資金も貯まりかかってきた いよいよその年の春に僕らは八ヶ岳に引越すことに決めた

警備会社での勤務もあと2ヶ月弱・・・その夜も僕は指令室での勤務についていた その頃、ひとつの問題が起きていた 山手線の「大崎駅」の近くに大きな跨線橋がかかっていてその改修工事にうちの支社から4人の隊員が派遣されていた しかもここは24時間体制での警備内容だったので昼夜合わせると合計8人の人員が必要だった ところが、ちょうど時期は年度末 今では大分分散されるようになってるが、当時はこの時期になると一斉にあちこちで道路工事が増え、おかげで警備会社にとっては1年でも最大の稼ぎ時だった

おかげで、人員を各現場に回すということがなかなか難しかった あちこちの現場で人手が足りないということが起きていた そしてそのあおりをまともに食らっていたのがこの「大崎」の現場だった どうしても4人しか人が送り込めなかった すると、当然交代要員が居ない なんとその4人の隊員は24時間不眠不休で勤務にあたるというとんでもない状況に陥っていたのだ その現場のリーダー格の隊員・・・その人はNさんといって僕もよく知っている人だった 彼は元々は自分で会社を経営していた「元社長」・・・それだけに能力も責任感もあり他の隊員への面倒見も良く、うちの警備会社でも折り紙つきの優秀な隊員だった

そのNさんから深夜電話がかかってきた
「おい、一体どうなってるんだ! 交代要員はいつ来るんだ!? 俺たちはもう3日も全く休んでいないんだぞ!」
その声にはもう悲痛な叫びが含まれていた そうは言われても実際にそこへ送り込めるような隊員は全く確保できそうもなかった
「すみません、今一生懸命探しているのでもう少し待っててくれませんか?」
「何言ってるんだ! 前にも同じことを言ったが、結局送ってくれなかったじゃないか! あんたら指令室は俺たちを見殺しにするのか!?」

その声に僕は本当に悩んでしまった Nさんたちがどれだけの苦境にいるのかは想像がつく その現場は一度視察に行ったことがあるが、番屋どころかちょっと休憩できるような場所も無かった 「ようし」 僕はある決意をした

高円寺ライブハウス ペンギンハウス出演するには?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする