思えば1940~50年代のアメリカの黒人ブルースの変化と進化ってすごかったと思う それはブルースに限らずすべての音楽ジャンルに言えると思うが
そのキーになったのはやはり「エレキギター」の普及と録音技術の進歩だろう 「エコー」を使ったレコーディングもブルースのニュアンスをずいぶんと変化させた
もはやアコギを弾いてぼそぼそと歌うようなブルースはよほどの片田舎に行かなければ聴けなくなってきていた 都会のゲットーのクラブでは大騒音の中、ブルースミュージシャンたちもエレキギターをアンプに通しボーカルもハープもマイクを使って大音量で叫びブロウする・・・
そんなスタイルが主流になったシカゴ・・・次から次へと新しい才能がその都市を目指して集まってきていた ビッグ・ビル・ブルンジーを「時代遅れ」にしてしまった”革新者”のマディー・ウォーターズでさえその後しばらくすると彼自身「時代遅れ」な存在になってゆく
マディーは自分が生まれ育ったミシシッピデルタのプレイをそのままバンドスタイルに進化させたが、そのミシシッピや隣のテネシー州メンフィス辺りでは「T・ボーン・ウォーカー」の影響を受けつつ独自のギタースタイルを確立させた「ロバート・ロックウッドJR」などがキーパーソンになって「サニーボーイ・ウィリアムソン」「ハウリング・ウルフ」「エルモア・ジェイムス」などまったく新しいバンドスタイルのブルースを作り上げた連中が次々とシカゴにやってきた
そして50年代入ったころ・・・マディーの元に1人の若いギタリストがやってきた
ギターもだが、その青年の作る曲が持っているなんだか新鮮なリズムと今まで無かったような作曲作詞に才能を感じたマディーはその男をチェスレコードへ紹介した
その男がレコードを出すと今までとは違った現象が起こった それまで「レイスミュージック」と言われて黒人のそれも中下層階級にだけ聞かれていたブルースだったが、その男が出したレコードには白人のティーンエイジャーが飛びついた 男は一躍大スターになった

さて、話を戻すがすっかり人気も衰えて第一線から引き下がらざるをえなかったビッグ・ビルは新しいマーケットを見つけた
それはチャック・ベリーとは全く違ったやりかたで白人の市場に飛び込んでゆくということだった
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