さて、仲田修子の中学生時代の話にいく前に現在の修子についてちょっとお話をしておこう
彼女は普段はあまり外へは出ない SNSなども一切やっていない 今までの話を読んできて下さった皆さんにはなんとなくわかると思うが実は内向的で独りで静かにしているのが好きな人なのだ
にも関らず彼女には多くのそれも素晴らしい友人が居る ペンギンハウスに彼女がたまに来ると「修子さん」と言いながら寄ってくる人がとても多い 仲田修子という人物には特別な引力がある 僕も彼女と出会ってもう40年以上になるが、彼女はとにかく友人を大切にする
それではここで彼女を知る友人のうちから何人かに仲田修子をどう思っているのかを聞いてみた まず1人目は修子のバンドのドラマーで今のバンドメンバーの中でも一番長く彼女と活動をしてきた瀬山研二の話・・・
「仲田修子について 」
シンガーソングライター仲田修子の魅力は数々あるが、まずシンガーとしての彼女の魅力の一つとして声の良さがあげられるだろう。声の良さは天性のもの、生まれ持ったもので、努力や練習で手に入れることはできない。昔から声千両等といわれるが、声の良さこそ歌手にとっての一番の財産である。それでは、声の良さとは何であろうか。聴いて心地よい事、快楽的なことはもちろんの事、声の良さとは声に含まれる情報量の多さではないだろうか。言葉に頼らずとも、たった一声でその声に自らの思いや感情、意志、思想までも情報として載せられる力こそが、良い声ということである。
歌詞の無いスキャットにおいても、それは顕著に現れている。(ちなみに彼女はスキャットの名手である)スキャットを聴いているだけで、そこに彼女が様々な情報をこめる事ができることは、彼女のライブを聴いた事のある人なら、すぐに納得できるであろう。「マザーレスチャイルド」のインプロビゼーションにおいては、グレゴリアン聖歌のような荘厳さを表現する事さえできるのである。
ソングライターとしての仲田修子の魅力の内、まずは作詞家仲田修子について考えてみよう。作詞家仲田修子の魅力は、これも数々あるが、この世界をどういう視点で切り取るか、その切り取り方のユニークさにある。それは、いまだにキラーチューンとしてライブで歌われている、「シンデレラのお姉さん」や「国立第七養老院」に顕著に現れている。「シンデレラのお姉さん」はその題名の通り、シンデレラではなく、シンデレラのお姉さんの視点から書かれた歌詞である。凡庸な作詞家ならシンデレラに向けられるであろう視点を、お姉さんの視点に向けてしまう彼女の才能は、この歌を聴いた事のある人ならすぐに分かるだろう。「国立第七養老院」においては、その養老院は『昔新宿と呼ばれたところに』という印象的な歌詞で始まり、そこに暮らす老人たちが、ちっとも仲が良くなく、いがみ合い、それでも楽しく生きている姿が面白おかしく描かれている。
そして、特筆すべきは、これらの曲が彼女が二十代の頃書かれたものであり、四十年以上経った今でも、懐メロとしてではなく、今を描いた歌としてライブで歌われ、人々から熱狂的に支持をされているということである。彼女のこれらの才能は、どこから来たのであろうか。その一つとして考えられるのは、彼女がシンガーソングライターになる前に、現代詩を書く詩人であり、SFのショートショートの小説を書いていた事と関係があるかもしれない。現代詩を書くときに培われたジャンプ力や、SF小説を書く時に培われた物を独自の視点で描く力が、作詞家仲田修子の誕生に大きく関わっているのである。
作詞家仲田修子のもう一つの特徴として上げられるのが、日本のソングライターとしては稀有な存在である、叙事詩人であるということである。叙事詩とは一言でいえば物語の事であり、つまり彼女の歌詞の多くは感情ではなく物語が描かれているのである。前にあげた「シンデレラのお姉さん」も「国立第七養老院」も叙事詩である。欧米には歌における叙事詩の伝統はあるが、日本では一部の古い芝居を基にした歌謡曲を除いては、叙事詩はほとんど無いといっても過言ではないのである。これも彼女が小説家としてスタートした事と関係しているのかもしれないが、この事実に気付いている人は少ないのではないだろうか。
もう一つ、彼女の作るブルースの歌詞についてである。彼女の作るブルースはただの嘆きや悲しみが描かれているだけではなく、歌詞にノーブルさと日本的な美意識が描かれているのである。「いつかきれいな」や「その気になってさ」にその特徴が良く現れている。ブルースシンガーとしての仲田修子が他のブルースシンガーと大きく違うのはこの点であり、彼女のブルースが彼女独自のブルースになっている理由である。
作曲家仲田修子はどういう存在だろうか。もちろん彼女は優れたメロディメーカーであり、多彩なメロディを作曲している事は周知の事実であるが、他のソングライターと比べて特筆すべきは、多種多様なリズムで曲を作っている事である。8ビート、16ビート、4ビート、シャッフル、スロー3連、ワルツ、さらにはタンゴ、レゲエ、フォルクローレまで、様々なリズムで作曲をしているのである。これだけ多種多様なリズムで曲を作るソングライターを私は知らない。これは彼女がシンガーソングライターになる以前に、弾き語りの歌手として様々な曲を歌っていた事と、弾き語りの歌手となる前、十代後半から二十代前半時代に優れたダンサーであった事と関係があると私は思っている。弾き語り時代、様々な曲のリズムをリズムマシーン(色々なリズムを鳴らす事ができる機械)に合わせて歌っていた彼女が、ソングライターになった時、多種多様なリズムで作曲をしたのは必然であったのである。いくら様々なリズムで曲を作ってもそれに乗って歌う事ができなければ、歌として成立しない。それを歌として成立させる力を養ったのが、彼女のダンサーとしてのキャリアだったのである。
最後に仲田修子の人となりを語ろう。私と仲田修子が出会ったのは、かれこれ四十年前だが、その頃の彼女はとにかくファンキーでエキセントリックだった。根っからのリーダー気質で、遊びを考える天才だった。彼女は様々なごっこ遊びを考えた。その中の一つが「ツッパリング」と呼ばれる遊びで、みんなでツッパリ、つまり不良の格好をして、街に繰り出して色んな店に入って、従業員に無理難題を言って楽しむといったものだった。実は仲田修子と私との出会いの日がその遊びをした日で、何て面白い人がこの世の中にいるものだ、と思ったものだ。現在の仲田修子はエキセントリックさは影を潜めてしまったが、その反面、以前からあった人に対する優しさや人間としての大きさが際立ってきたと思う。彼女はとにかく人の話を聞く人である。自らの事を語りたがる人が多い中、その事は稀な事だと思う。だから、多くの人に慕われ、誰もが彼女を大切に思うのだ。
出会ってから四十年近く、いまだに彼女のバックメンバーとして、ドラムスやパーカッションを叩ける事実を私は幸せだと思っている。これからも、この関係は続いていくであろうが、彼女は私にとって唯一無二のビックママなのである。 瀬山研二 2017/5/2
高円寺ライブハウス ペンギンハウス