もう一度ブルース   14

戦前のブルースマンには「ブラインド Blind」つまり「盲目の」というネームが付いたものが多い

代表的な名前をあげれば「レモン・ジェファーソン」「ボーイ・フラー」「ブレイク」「ジョン・デイビス」などなど・・・

戦後にも「ブラインド」とは付かなかったが「レイ・チャールス」「スティービー・ワンダー」「ダイアン・シュアー」など盲目の優れたミュージシャンが大勢居る

なぜ「ブラインド」と名前の付くブルースマンが多かったかといえば、つまりこの時代に盲目である黒人は普通の仕事にはありつけず音楽をやる以外に道が無かったというのが一番大きな理由なのと、視力が無いことがそのぶん音に対する感性を育てたという要因になってるのだと思う

じっさいこれらの名前を持ったブルースマンたちは全員素晴らしいミュージシャンでまた独自のスタイルをそれぞれが創りあげていた

その中でも20年代後半に同じ 「ブラインド・ウィリー Blind Willie」という名前を持つ2人の男たちが居た

まず1人は ブラインド・ウィリー・マクテル

ブラインド・ウィリー・マクテル Blind Willie McTell
1901年にジョージア州オーガスタの近くのトムスンで生まれ、1959年に同州ミレッジヴィルで死去しました。本名はウィリー・サミュエル・マクテル( Willie Samuel McTell)です。生まれながらの盲目ですが、小さい頃からギターを弾き始め、12弦ギターも習得しました。その後、南部一帯を放浪して種々の音楽を摂取し、ブルース、ラグ・タイム、スピリチュアル、バラッドなど多彩な演奏目録を持っています。1927年から35年までに60曲以上を録音し、戦後にも49年と56年に録音を残しています。(以上;ラジカルビスケットより)

若い頃僕は彼の曲をたくさん聴いていた その後「ブラインド・ブレイク」や「ビッグ・ビル・ブルンジー」などのギタースタイルに辿り着くその中間点として彼のギタープレイを大いに研究したものだ その華麗と言ってもいい12弦ギターのプレイは今聴いてもちょっとうっとりするような響きがある そしてちょっと鼻にかかったメロウな歌声も好きだった

僕が聴いてた当時の彼の声は妙に甲高い感じがしたのだけど、どうもそれは新しく録音するときのレコードの回転数が間違っていたみたいで実際の声は下の曲の感じに近かったようだ 曲中で合の手を入れてるのは彼の妻だ 盲目のブルースマンにとってはどこへ行くのにも必ず手を引いてくれる付き添いが必要だったのでこのように奥さんが一緒に居てついでに一緒に歌ったりお客が払う「投げ銭」を誤魔化されないように見張る必要があったのだと思う

そうしてもうひとりは ブラインド・ウィリー・ジョンソン

ブラインド・ウィリー・ジョンスン Blind Willie Johnson
1897年に中部テキサス州マーリンの近郊で生まれました。その生涯について詳しいことは分かっていません、7歳の時に両親の夫婦喧嘩のトバッチリで洗剤が目に入り失明したと言われていますが、経緯のほどは不明です。当時の貧しい黒人家庭では、胎児期や幼少期の栄養不足でも起こり得ることです。葉巻の空き箱を加工してギターを作り、独学で奏法を習得した彼は、生計を立てるため弾き語りの辻説教師(ジャックレッグ・プリーチャー)としてダラスを中心に流して歩きました。やがてコロンビアにスカウトされ、1927年から1930年にかけて30曲を吹き込みました。しゃがれた暗い迫力ある歌声と、オープンD・チューニングを使ったナイフ・スライド・ギターは絶品で、「Mother’s Children」、「I Just Can’t Keep from Crying」、「Dark Was the Night」など後代に取り上げられた曲は多くあります。彼はずっと牧師として赤貧の流しを続け、1945年に急性肺炎で亡くなりました。自宅が火災に遭った後、濡れた床で寝ていて風邪を引き、それでも生活の糧を稼ぐために路上で歌い続けて倒れたのです。(以上;ラジカルビスケットより)

ここで最初にはっきり説明したいのは彼は「ブルースマン」ではないということだそのギターも歌い方も本当にブルースぽいのだが、彼は「ゴスペルシンガー」だったのだ
ただ、当時はブルースとゴスペルは曲の構成と歌詞が違うだけでその表現法はすごく近かった まるでトランプカードの表裏のようで、実際ブルースマンの多くはゴスペルも歌っていた(その逆はあまり無いのだが)

それではまるでデルタブルースのようなスタイルで歌われているこの曲を

どうだろう、このインパクトたっぷりの演奏・・・

このあとの時代にもブルースとゴスペルは互いに影響を与え合いながら発展してゆくのだよね

それでは次の曲は「ヴィム・ベンダーソン」が監督したブルースのドキュメンタリー映画「Soul of Man」に使われた「Dark Was The Night」この曲はアメリカNASAが打ち上げた探査衛星「ボイジャー」の中に積まれた地球の文化を紹介するための資料レコードの中に入れられて今も宇宙を旅しているそうだ ギターと唸り声だけのこの曲 いつかどこかの星のエイリアンたちがこれを聴くのだろうか

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

http://penguinhouse.net/how

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