仲田修子話  13

ここで次の話に行く前にもう一度品川という街についてちょっと説明をしてみようと思う

まず現在の品川


意外と知られてないのだがJRの品川駅は品川区ではなく港区にある そしてかつての宿場町が栄えていた品川はそこから南へ下った京浜急行線の「北品川」から「新馬場」のあたりにある なぜこのようなことになったかというと1872 年(明治 5 年)9 月 12 日に日本で初めての鉄道が新橋⇔横浜間で開通したのだが、当時は「丘蒸気」に対する不安や反対が多く品川の街も「あんなものがここに来るなんてとんでもない」という地元民からの反対に合い現在の場所に落ち着いたのだそうだ ちなみに当時品川の北側では線路は埋め立てた海上を走り品川で丘に上がるというラインを通っていたそうだ

この昔の地図を見ると今の天王洲やその先の南の「八潮」もすべて海だったことがわかる

そうそう品川も修子が育った当時はすぐそこが海でまだ海産物が採れたというがそこから南に下った大森には「大森海岸」という海水浴場があり修子たちも夏になるとそこへ遊びに行ったという

驚くことに大森海水浴場はかなり後まであったようで仲田修子バンドのメンバーの瀬山研二も子供の頃そこで泳いだ記憶があるという

その海水浴場の名残は今の京浜急行線に「大森海岸」という駅があることでもわかる

そういうわけでせっかくの日本初の鉄道を追い払った品川・・・そこにはまた特別なものがあった

仲田家の夕飯のおかず・・・それを買いに行かされるのは修子の役目になっていた「お肉を買って来い」と言われることもあった 買い物に行かされるのはちょっとメンドウだったがこの肉屋に行くのは修子にとってちょっと楽しみでもあった 近所には何軒か肉屋があったが修子が行く店は「ここ」と決まっていた それはその途中にあった「あるもの」を見ることが出来たからだ 夕暮れ、あたりが暗くなり始めた頃・・・ちょっと不思議な光景がそこにはあった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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