仲田修子話 54

ところで、その当時の寺山修司の劇団「天井桟敷」はアングラ演劇のブームの中でそれこそもう飛ぶ鳥を落とすような勢いを、もう一方の雄、唐十郎が率いていた「状況劇場」と争っていた 天井桟敷は渋谷に「天井桟敷館」という小屋を建て「状況劇場」は新宿の「花園神社」などで「紅テント」での上演を繰り返しそれを機動隊が取り囲むという事件があり、さらには天井桟敷側が状況劇場の公演初日に送りつけた「葬式用花輪」のことが発端で、ついにはまるで暴力団の出入りのような乱闘事件を起こしたということも当時かなりの騒ぎになってマスコミにも取上げられていた

「星の王子さま」公演のプロモーションで当時テレビで人気があった「11PM(イレブンピーエム)」という夜中の番組にその白波5人衆で出演したこともあった

司会の大橋巨泉・・・番組の中でやたらうるさく叫ぶこの人物に修子はいい印象を持てなかったと語る・・・その前でその芝居の決めセリフを披露するという演出だった ところが修子の番になってカメラがいきなり寄ってきたのでビックリした修子はセリフを忘れてしまい「すみませんセリフ忘れました」・・・その場面はそれで終了になった

芝居の公演中大勢の観客が来ていたがその中にかつて修子が虎ノ門病院に居たときに「目撃」した三島由紀夫も来ていた 三島はのちにこの芝居について絶賛していたというのはさきにも触れられていたが・・・「この芝居の何処が面白いんだろう」・・・修子には解らなかった そもそも台詞は全部覚えていたのにこの芝居の内容はまったく解らなかったという

そして2週間の芝居が終わったとき修子のところに演出家がやってきて

「寺山さんがもし残りたかったらこのままこの劇団に居ていいと言ってますが」

と言ったが、修子は演劇自体に全然魅力を感じることが出来なかったので

「いいです」と言って劇団を去った

その後、修子は演劇の世界に関ることは一切無かった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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