仲田修子話 58

この事件は朝まで続き結局新宿駅とその周辺(現在のアルタ前近辺)はもう壊滅的に破壊された 学生約7千人で始まったこの「暴動」は最終的には一般市民も加わって2万人以上になり機動隊も全く手出しができなかった この事件ではじめて「騒乱罪」が適用され743人が逮捕されたが・・・結果は完全に学生側の勝利だった

さて、そのときの仲田家だが・・・

その夜修子と弟は家でラジオでこの事件の報道を聞いていた テレビはあのおでん屋のオヤジが持っていってしまっていたので ラジオから刻々と伝わってくるその様子・・・明らかにとんでもないことが新宿で起きている・・・そのことを知って修子は自分が抑えられなくなっていた

「行かなくちゃ・・・」

それは政治的イディオムとかそういうものではない 今新宿で起きていること、それは明らかに「お祭り」だった どうしようもなく高まる衝動・・・とにかくその現場へ行きたくなった

それは当時まだ高校1年生だった筆者も全く同じ衝動を持っていたからよくわかる 自分があと3~4歳上だったら確実に行ってたと思う

ところが「私、行く!」
そう言った修子を引き止めたのは弟だった
「姉貴は行っちゃダメだ かわりに僕が行く!」
「ダメだよ あなたは仲田家の跡取りなんだから死なすわけにはいかない 行くのは私!」
「いや、姉貴は大事な人だ・・・僕が行く!」

こうやって「私が」「僕が」という押し問答を繰り返す二人・・・

結局そのまま朝を迎え事件も収束 二人もようやく諦めて眠りについた

その事件後、しばらくして筆者は新宿駅に行ってみた もう駅構内もまわりの商店もすっかり修復されていたがそこで異様な光景に出くわした

新宿駅構内に敷かれてる線路の下がすべてアスファルトで固められていた それはその後何年間もずうっと続いていた

挿入曲「国立第7養老院」
作詞作曲:仲田修子 歌:OSAMU(仲田修子)
1980年;日本マーキュリーレコードから発売されたシングルEPのA面に収録
B面は「引越しブギ」

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

出演するには?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする