仲田修子話 66

修子をその店に連れていったスズキくんは当時「フォークゲリラ」みたいなグループで活動していたようなので、もしかすると修子にもそういう仲間に加わってほしいと思ってたのかも知れないが結果はまったく違う方向に進んでいった

修子は毎週土曜日にその店に通い歌いはじめた オープンマイクで歌う人たちに混ざってときどき気が向いたときに歌うという形だった ギャラ一日2千円でそれ以外にはコーラを2本だけはタダで飲んでいいという待遇だった

ところが修子がそこで歌っているとそれを聴いた多くの人から

「こんなところで歌ってちゃ勿体無いよ」とか

「銀座や赤坂や六本木とかで歌えばものすごいギャラもらえるよ」とか

あまりにそういうことを言う人が多くてそして「弾き語り」という職業があることを知った修子は「この仕事がやりたい」と初めて自分がやりたい仕事を見つけた気がした

そこで修子はふと思い出した 彼女が銀座のレズビアンクラブで働いていたとき、当時そこで飲んでいたお客たちがそのあと赤坂や六本木に流れていくことが多いということを・・・そこでその流れの「下流」にあたる赤坂や六本木で網を張っていればなにかそういうきっかけが掴まえられるのでは・・・そう思いまず新聞の求人広告を見た

すると六本木にある「タートルクラブ(その場所は現在はピットインになっている)」という店が「バニーガール」を募集しているのを見つけ「これだ」と思いさっそくそこの面接を受けた

バニーガールの採用条件はまず身長が160センチ以上あること もちろんスタイルがよくなければいけない これは修子なら楽々クリアー そしてもうひとつは英語が話せること・・・これは「ええ話せます」と誤魔化して・・・見事採用された

その店のバニーガールの服装はレオタードもウサギの耳もゴールドで、それに網タイツと蝶ネクタイというスタイルだった 客層の6割以上はアメリカ人の観光客だった バニーガールの仕事は入り口に立っていてお客が来ると外国人だと「Welcome」日本人だと「いらっしゃいませ」とにっこり笑って迎える あとはドリンクなどをテーブルに運ぶ・・・そんなものだった

ところでその店のバニーガール、修子以外はすべて本職はモデルだったが修子はその中でずば抜けてスタイルが良かった その店のオーナーがそれまでのバニーの制服がイマイチだと思って悩んでいたのに彼女のバニースタイルを見て「あ、やっぱりこれでいい」と思ったそうだ

ちなみにその時の修子の源氏名は「キャッシー」だった

そうそうレズビアンクラブ「白川」で働いていたときの源氏名は・・・言い忘れてたが・・・「ジミー」だった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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