仲田修子著;ダウンタウンブルース「24」より
拍手ひとつ貰えず引っ込んだ彼女を追って修子は楽屋に飛び込んだ。
「絵理菜さん!私の声聞こえなかった?」
「ああ、聞こえたよ…」
「じゃあ、何で二番歌わなかったの?」
「だって、格好悪いじゃない、途中から歌うなんてさ」
彼女はそう言ってタバコを銜えた。修子は呆然として黙った。しばらくの間沈黙が続いた。
「あたし、間奏の所でわかんなくなっちゃってさ…そのあと頭真白になっちゃってね、先生の声は聞こえたけれど、二番の歌詞も良くわかんなくなっちゃったんだよ」
タバコを吸いながら彼女はちょっと済まなそうに言った。
「あの間奏、ヒドイよ!絵理菜さんのせいじゃないよ!」
修子は叫んだ。
「いいんだよ、もう…」
絵理菜さんはそう言って又黙った。ステージの方から聞え続けていたバンドの音が「ワルツ」に変る、それまで楽屋の隅でポーカーをやっていたムードコーラスらしい四人の男が腰を上げ、ステージに出て行く…「チェンジ・ワルツ」だ。バンドのメンバーが次々に楽屋に戻ってくる…。
修子は絵理菜さんと二人で蒲田の駅近くのラーメン屋に入った。修子はラーメンの他にビールを注文した。
「あら、先生は一滴も飲めないって言ってたけど?」
彼女がそう言った。
「ああ、あれは営業用、どこの店へ言ってもそう言ってるんだ…本当は強いんだよ」
修子はビールをガブ飲みした。あのバンマスは、自分がとんでもない事をしたのに、それがどんなに大変な事をやらかしたのかにも気付かず、「又、今度歌いにきなさいよ」なんて気楽に絵理菜さんに言ってた…修子は譜面を全部返してもらった。
「絵理菜さん…歌手になる気…無いよね?…」
「…………」
彼女は何も言わなかった、二人で黙ってラーメンを啜った。突然彼女がポツリと言った。
「あたしね、子供が欲しいんだよ…もっとも今の生活じゃ生む訳にいかないけどさ」
修子はびっくりして言葉が出なかった、この“天才”はこうやって埋れてゆくのか…。
帰りの電車の中で「ダウンタウンブルース」のフレーズがとぎれとぎれに頭の中に浮かんだ、「 ここは下町誰も翔べない……」
イヤな歌を作ってしまった…と思った。
それから数日後、店に行く前に電話が入った。弾き語り専門のプロダクションからだった。六本木で「かけもち(注)」の仕事のオーディションを受けてみないか?と いう内容だった。ギャラは一軒月十四万、合計二十八万になる、ただし競争相手は多い、六、七人は楽に来るだろうという事だった。
「負けるもんか!」、修子は心の中で叫んだ。
そして修子は勝った。
来月からは再び都心であのギラギラしたテンションの高い世界で、初めての「かけもち」をやるのだ。あと二週間ぐらいで今の店をあがる事になる、そして又、別の弾き語りが自分の歌っていた場所で仕事をするのだろう。
注;「かけもち」とは2軒の近くにある店をそれぞれの交代時間を利用して同じ日に演奏すること お金にはなるがムチャクチャきつい
挿入曲;「国立第七養老院 」2002,7,10 大田区民プラザ大ホールコンサートより
筆者脚注; この話は仲田修子筆の自伝小説「ダウンタウンブルース」をそのまま使わせてもらってます 書かれていることはすべて本当にあったことです 人称を「私」から「修子」または「彼女」「自分」に書き換える以外は一切加筆していません
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