仲田修子話 155

そこで当時ちょっとブームになっていたある鳥類の名前を持って来て店の名前にした

「ペンギンハウス」・・・と

こうして今からちょうど33年前(2017年現在)1984年の10月27日に高円寺北口、純情商店街にペンギンハウスはオープンした

猫屋敷のほうはそのまま続けて営業することにした

そちらの方はその少し前から付き合いのあった増田の高校時代からの友人の保高・・・通称テルちゃん・・・と猫屋敷の常連だったカジワラという男が引き継ぎ、ネコマスとジミーはペンギンハウスへと異動した(その後ネコマスはペンマスと呼ばれ、後に今の亜郎という名前を名乗ることになる)今度は従業員もかなり抱えての営業だった

オープニングの日にはパーティーが開かれた それまでの猫屋敷やオレンジスタジオなどの知り合いやお客が詰め掛け、修子は彼女のバンドをバックに久しぶりに人前で歌った

ペンギンハウスには修子の計画どおり当時のお洒落な若い客層が大勢やってきた カウンターに座り「自動演奏ピアノ」の音を聴きながら本格的に調理された「ピザ」や「スペアリブ」などをつまみながら「シンガポールスリング」や「マルガリータ」などのカクテルを飲むカップルが主な客層になった

しかし、猫屋敷のオープンのときもそうだったように、オープン当初のペンギンハウスにも招かれざる輩が入ってきた それはオープンした年の明けて正月・・・ ペンギンハウスは年始にも関わらず多くの若者で賑わっていた 修子もその日はちょっとお洒落をして・・・白い着物姿でペンギンハウスに来て、有海、増田、瀬山などと一緒に休日を楽しんでいた そこにはあの「テルちゃん」も居た

事件が起きたのはそのさ中だった

店の入り口近くに陣取っていた5~6名の若者グループが居た 入って来た時からヤバそうな空気を漂わせていた 店の女性スタッフに絡んだりあからさまに粗暴な言動が目立った どう見ても地元のヤンキー連中だった 最初は無視していたがあまりにもその言動が目に付いた そして真っ先にそれに反応したのはジミーだった 彼らに対して「ちょっと静かにしてくれない!」と声をかけた それに対して彼らはこう返してきた

「うるっせえなあ~!」

その瞬間ジミーはこう怒鳴った「なんだと、この野郎!」

それを聞いて彼らが立ち上がると同時に、さっきからその様子を見ていた修子たちも一斉に立ち上がった ここからは舞台を店の外に移しての格闘になったのだが、このヤンキーたちは運が悪かった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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