仲田修子話 156

普段はすごく気の優しいそして最高のブルースギターを弾く「テルちゃん」だが、それまで鉄筋工の仕事で鍛え上げた身体はまるでプロレスラーのようで、それ以前もヤクザ相手にしょっちゅう喧嘩をしていた彼にしてみれば、そこらのヤンキー小僧の相手など赤子の手をひねるくらいのものだった その乱闘には有海、増田、瀬山そして着物姿の修子まで参加していた あっという間にチンピラ連中はボコボコにされた 血まみれになった相手を階段の下へ蹴落とそうとするテルちゃんを、むしろ制止するのが有海たちの役割になった 「ダメだよ!そんなことしたら死んじゃうよ~!」

やがてパトカーがやってきた ボコボコにされてそこらに倒れたりうずくまっている若者を見て警官は彼らを「被害者」だと思ったが、修子は毅然とした態度と喋り方で説明した

「いえ、私たちのほうが被害者なんです 彼らが店の中で暴れだしたので、連れ出して反撃し たのです」

警官たちは「???」という反応だったが、なにしろきっちりと着物を着た女性がそう言うのだからそうなんだろう・・・そう判断したようで、その「ならず者」たちは次々にパトカーに入れられ連行されていった

その騒ぎの後、家に戻った修子は着ていた着物を脱いだ すると裾のほうに見覚えのない模様がついていた 赤いそれは・・・模様ではなかった

後日ジミーは杉並警察さらに東京地検に呼び出され「事情徴収」を受けたが、とにかくその連中の店での乱行ぶりを強調した 結果この件は不起訴になりそれで片付いたが、それ以来そういった不良グループがペンギンハウスに近付くことは二度と無かった

その後、しばらくは「カフェバー」として営業していたペンギンハウスだった 毎週末の深夜には高円寺近辺に住んでいたジャズミュージシャンたちが集まってジャムセッションを行っていた(当時はまだ風営法の規制が無かったのでそういうことが出来た)

修子はあのオープニング以降ペンギンハウスにはほとんど出演しなかった 彼女が今のように定期的にそこでライブをするようになるのはそれから大分過ぎてからのことだった

やがて「バブル景気」が起き、それが「崩壊」へとなるのと合わせるように「カフェバーブーム」も終りが見えてきた こうなることは先刻予想していた修子はすかさず営業方針をがらっと転換させ、ペンギンハウスは「ライブハウス」として再出発した

本格的なPA機材も入れPAスタッフも雇用した ここから長さ30年近くにわたる「高円寺ライブハウス・ペンギンハウス」の歴史がスタートした

しばらくはペンギンハウスと並行して営業していた猫屋敷は、その後大家から「立ち退き」を要求され10年近くの歴史に幕を降ろした

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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