ギターギター 88

時は1930年代のミシシッピ ”女癖の悪い”ロバート・ジョンソンは相変わらず性凝り無く人妻に手を出し続けていました ある時期、ロバートは1人の女性と付き合っていました 自分よりかなり年上だった女性・・・彼女には息子が居ました 年齢はほとんどジョンソンと変わらない・・・しかもその息子の名前も「ロバート」といいました

おまけにこの”息子”もブルースをやっていました そう、この「息子」の名前・・・それは

「ロバート・ジュニア・ロックウッド Robert Jr. Lockwood」

1915年、アーカンソー州マーヴェルの生まれです。最初はピアノ弾きを志しましたが、母親の恋人だったロバート・ジョンソンの歌とギターに強く感銘を受け、ギターを弾き始めました。1930年代半ば頃からロバート・ジョンソンと親交のあったサニー・ボーイ・ウィリアムスンIIのバンドであるキング・ビスケット・ボーイに参加し、南部では知られた存在になっていきました。1941年にはアーカンソー州へレナのラジオ局KFFAでキング・ビスケット・アワーという番組を持ち、南部の香りとモダンな単弦奏法を兼ね備えた、エレキ・ギターによる演奏を通じて、B.B.キングなどのギタリスト達に多大な影響を及ぼしました。1949年にシカゴに移り住み、1950年代はチェスのスタジオ付きセッション・ギタリストとしてサニー・ボーイ・ウィリアムスンIIや、リトル・ウォーターなどの数多くの作品で名演しています。1960年代には活動を一時停止していましたが、1970年代にソロ・アーティストとしてデルマークから復帰しました。晩年も活発な音楽活動に取り組みつつも、住居があるクリーブランドでは毎週水曜日の夜8時に都心部のレストラン・バー『Fat Fish Blue』で演奏を聞かせていた。2006年11月21日、呼吸不全に陥り、入院先のケース大学医療センターで亡くなった(以上;ラディカル・ビスケットとwikipediaより)

最初はアコギを弾いてジョンソンのようなミシシッピデルタブルースをやっていた彼です

しかし、当時すでにミシシッピにも伝わってきていた新しいスタイル・・・とくにTボーン・ウォーカーが確立したギタースタイルに彼も影響を受けました

そして、当時ミシシッピで確固たる地位を獲得していたハーピスト「サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ」のバックギタリストとしてめきめきと頭角を現します


高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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