“この人”のことは書こうか書くまいか・・・ちょっと悩みました
あまりにビッグネームですし、誰もが知ってる・・・いろいろな人がすでに書いたり紹介してるので私が”あえて”書くまでもないのかな・・・とも思いましたが。ブルースギターの歴史の中でやはり絶大な貢献と影響を持つこの人のことを抜かすわけにはいかないか・・・そう思ったのでやはり書きます
その名は「B・Bキング B B KING」
本名はライリー・B・キング( Riley B. King )です。1925年9月16日、ミシシッピー州イタ・ビーナで生まれています。幼い頃は貧しい農園の生活を過ごしていましたが、教会でギターを弾いていた叔父に影響されて音楽に興味を持つようになりました。1948年にメンフィスに出て行き、アマチュア・コンテストなどに出場して腕を磨きました。1949年にサニー・ボーイⅡの口利きでメンフィスでディスク・ジョッキーの職に就き、同年にはナッシュビルのパレット・レーベルに初録音しています。最初はロバート・ジュニア・ロックウッドにギターの手ほどきを受けました。1940年に耳にしたティーボーン・ウォーカーの曲「Mean Old World」に感銘を受けてからは、その崇拝者となります。1950年にLAのモダン/RPM(後のケント)と契約し、1951年には「3 O’clock Blues」がR&Bチャート12週連続1位という大ヒットになりました。その後も「Every Day I Have the Blues」、「Sweet Little Angel」などのヒットを輩出していくうちに、しだいに彼自身のギター奏法を築いていきました。ボトル・ネック奏者が繰り出す微分音程をなぞるかのようなスクイズ奏法は躍動感にあふれ、ギターの表現領域を拡張するもので、「Sweet Little Sixteen」を出した頃にはB.B.King独自の世界観を確立しています。1962年にABCに移籍してからは、その名は白人層にも浸透し、1970年には「Thrill Is Gone」を大ヒットさせ、グラミー賞を受賞しました。そして、いまだに全世界を股に駆けて巡業を続け、”King Of The Blues”の呼び名に相応しい地位を築いています。長年に渡り糖尿病を患っており、2014年の10月に体調不良のため巡業を中止し、2015年1月にはラスベガスの自宅でホスピスケアを受けていると公表しています。2015年5月14日に死去しました。享年89歳でした。(以上;ラディカルビスケットより)
もう押しも押されもせぬブルースの王様ですから(彼のライブのときは司会者が「KIng of Blues!」と必ず紹介してましたね)皆さんのほうがよく知ってるんじゃないかと思います
ここではまず皆さんがほとんど知らないかと思う話を少し・・・以前は「アルバート・キング」はBBの親戚だ・・・と言われたこともあったようですが、血縁関係は無かったそうです それとは別に「デルタブルース」のブルースマン「ブッカ・ホワイト Bukka White」はBBのお母さんと従兄弟だそうです 2人のスタイルは全く違いますよね
BBは60年以上の長居キャリアを持つブルースマンでしたし、また彼の持ち前の「向上心」からギターのスタイルはその年代ごとに少しずつ変化していました
初期はやはり師匠のロバート・ロックウッドの影響下で当時のメンフィスあたりで主流だったスタイルを持ってました そこらへんは前にTボーン・ウォーカーのところで紹介した「3 O’clock Blues」で紹介しましたが、次の曲は彼の代表作で50年代に吹き込まれたものです だいぶ彼らしいスタイルが出てきていますが、この頃はまだTボーン・ウォーカーの影響が強いと思います
高円寺ライブハウス ペンギンハウス