ギターギター 105

さて、白人系のそれもブルース系のギタリスト・・・というと「スティービー・レイ・ボーン」「エリック・クラプトン」「ジョニー・ウィンター」などの名前がすぐ挙がってきそうですが、私はこういったロック系のギタリストにはほとんど興味を持てませんでした 結局彼らの出すサウンドの大本は黒人のオリジネーターが持ってたわけですから

それもあって、アコースティック系のそれも独特のスタイルを持つギタリストが私にとっては興味の中心になりました その中でもおそらく最も私に影響を与えたと思うのがこの人でした

「ライ・クーダー Ry Cooder」

1947年3月15日にカリフォルニア州サンタモニカで生まれました。本名はライランド・ピーター・クーダー( Ryland Peter Cooder )です。ジョン・フェイヒからスライド・ギターを教わり、ジョゼフ・スペンスからはオープン・チューニングを学びました。1967年にタジ・マハールのレコーディングに参加し、以降もセッション・ミュージシャンとして数え切れないほどの参加アルバムがあります。自己名義アルバムでは、米国ルーツ・ミュージックを現代的に再解釈して世に送り出しています。1970年の初アルバム「Ry Cooder」、続く1972年「Into the Purple Valley」でその地位を確立しました。その後に出た1972年「Boomer’s Story」、1974年「Paradise & Lunch」も高い評価を得ました。源流へと向かう彼の旅は、アリ・ファルカトゥーレなど世界の音楽家と交流演奏するまでにふくらんでいます。また、映画音楽にも触手を伸ばし、ヴィム・ヴェンダースやウォルター・ヒル監督の作品での音楽を担当しました。さらに映画『Buena Vista Social Club』ではキューバまで出向いてフィルム製作を手掛けました。(以上;ラディカル・ビスケットより抜粋)

彼のどこがいいかって・・・基本のサウンドの芯になってるのは戦前のカントリーブルースです しかし、他の多くのギタリストがただそのスタイルをそのまま模倣していたのに比べると、ライはそこに自分独特の解釈を加えオリジナルが盛ってなかったリズムとか楽器編成を取り入れ彼独特のサウンドにしていきました 次に紹介する曲は基はミシシッピのブルースマン「スキップ・ジェイムス Skip James」の「Cherry Ball Blues」です


それがライの手にかかるとこうなってしまします

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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