僕の八ヶ岳話 50

その頃、僕は地元に住む人たちからこんな話を耳にすることがあった

「清里はえれえ寒いじゃんね」
「ほうさ、真冬には赤ん坊が寒さで死んじまうっちゅうこんもあったっちゅうじゃんけ」

その話には色々な尾ひれがついていた 朝起きたら寝床で赤ん坊が冷たくなってたとか、病院に連れて行こうにも出られなくて間に合わなかったとか・・・

そして我が家は確かに恐ろしいほどの冷え込みに襲われていた 元々この家は僕の父が「夏の間だけ使う」ことを前提に設計していたので冬のことはほとんど考えられていなかった 天井まで吹き抜けの居間は夏場は開放感もあって気持ちいいのだが、冬にはそれが仇になった
どれだけがんがんストーブを焚いても暖気は上のほうへ行ってしまい、僕らは寒さに震えるしか無かった。断熱など一切してない窓からは容赦の無い冷気がどんどん屋内を冷やしていく 大人である僕らはそれでもなんとか耐えられるが、何しろまだ生まれたばかりの娘には・・・

「真冬に・・・寒さで・・・赤ん坊が・・・死ぬ」

それはこの土地がまだ本当に未開の開拓時代の話だったというのを、あとになって知ったのだが、当時の僕らはもう気が気では無かった とにかく真冬のこの寒さ、もし娘が病気になってもちゃんとした病院までは車で30分以上かかる。大雪が降ればそんなものじゃ済まない。

とにかく夏場でもちょっと不便さを感じるここ清里が真冬にはそれこそ未踏の原野のようになる・・・こんなところで子供を育てるのは無謀もいいところだ!

今になると真冬の清里も慣れればそれなりにちゃんと暮らせるということを僕らは知っている しかし、その時はとにかく人生で初めての過酷な冬をそれも生まれたばかりの娘と過ごさなければならない・・・そういう重圧と不安が僕らの頭にぐうっとのしかかっていた

そして僕らは決心をした・・・引越そう!

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