僕が東京に来た理由 4

その当時、避難所暮らしをしていた人達に全国から色々な支援物が送られてきて、中には「こんなもの送られてきても」と困るようなものもあったそうだが、その人が自分の経験から送ってもらって嬉しかったものをリストアップしていた。紙オムツやラップ、下着、簡易トイレ・・・アナウンサーはその投書をNHKらしい淡々とした口調で読み上げていた。

しかし、僕はその阪神淡路震災の被害者の人が最後に挙げたリストに思わず耳を疑った! こう言ったのだ。「音楽・・・それも生の演奏」 身体を稲妻が貫通するような衝撃だった!

音楽、それも生の演奏・・・というのは取りも直さずつまり「ライブ」ということではないか? その時僕ははっきりと確信した。今のこのご時世を少しでも元気付けられるのがライブミュージックなのだとしたら、我が身をその火中に投じる意味がある。
その翌日僕は東京に電話をかけた。 とにかく行くと、先のことは全くノープランだったが、ここは動くしか無いと思った。八ヶ岳のそこまで僕と一緒にプロジェクトをやってくれていた仲間には本当に申し訳なかったが、何とか理解してもらって、その時点ですでに動き出していたプロジェクトからは抜ける事を伝えた。後で「あいつは無責任にそのプロジェクトを放り出して東京に逃げた」というような批判も聞かれたことも知ってる。多くの人に迷惑や不義理もしたことも本当に反省している。ただ、僕はどうしてもあの東京を始めとした関東全域に広がっていた重たい暗い空気を晴らさなければと言う思いに強くかられていたのだ。

写真;当時僕は縄文ギターという新しいコンセプト演奏をこんな衣装でやっていた。そしてその当時の八ヶ岳で出会ったアーティストたち

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