さて、いよいよここからは本題に入る。
東京に出て来て一年それまで手伝っていた飲食店は営業不振のため閉店、2012年の4月から僕はペンギンハウスのスタッフとして働き始め、そしてやがてPAオペレーターとなった。ここら辺のところには色々ないきさつがあったのだが、これについてはまたの機会に書くことにする。
さて、今だから正直に「カミングアウト」するが実はその時僕はPAオペレーターとしての経験はほぼゼロだった。たまに知り合いのイベントで簡単なPAを任されたことがあったのと自宅でレコーディングなどの経験はしていたが、ライブハウスでのPAなどというものは実は全くやったことが無かったのだ。
そんな僕に「PAをやってほしい」と頼んでくれたのが、ここのオーナーでペンギンハウスを立ち上げた仲田修子だった。いくら何でもそれまで全く経験の無いそれももうすぐ60歳になろうとする男をいきなり30年以上の歴史のあるライブハウスのメインオペレーターにするという話には当の僕でさえ「それは無理だ!」と答えた。しかし、彼女の信念は固くそしてこう言ってくれたのだ。
「あなたなら絶対に出来る!もしダメだったとしても全責任は私が取る」・・・と。
ここまで言われたらもう受けるしかない。そこでようやく僕は重い腰を上げることを決意した。