僕の吉祥寺話 34

その人物をはじめてぐゎらん堂に連れてきたのは多分高田渡だったと思う

丸顔で目のくりっとしてなんだかやけに童顔でニコニコしていたその人は「ガンさん」という名前がんさんだった 本名は「佐藤博」というまたどこにでもありそうな名前で、実際当時「ハックルバック」というバンドで鈴木茂(元はっぴいえんどのギタリスト これもよくある名前だ)と一緒にやっていたキーボードプレイヤーがまったく同じ名前だった

そういうこともあって僕らは自然に・・・今でも・・・彼をガンさんと呼んでいた

さて、そのガンさんがなぜやってきたか・・・それはその何日後かに彼の自宅に何人ものミュージシャンたちが呼ばれて開かれたミーティングで明らかになった

それはガンさんが自ら企画しプロデュースしている「JAM」というイベントライブに出演してほしい・・・そういう話だった

この「JAM」というイベントはガンさんも所属していた劇団・・・そうそう言い忘れていたがガンさんは俳優だったのだ・・・「自由劇場」(主催;串田和美)の本拠地の六本木自由劇場で定期的に開かれていたのだ

もちろん喜んで僕らはこのお誘いを受けた

それから数ヵ月後、僕はギターを抱えて「JAM」に出演するため六本木にやってきた 東京生まれにもかかわらず僕が六本木を訪れるのは初めて 中央線の吉祥寺なんて当時はまったく垢抜けない街だったので、このいかにも「都会」といった街の佇まいにちょっと戸惑いながら・・・

そして自由劇場への階段を降りる するとそこは小さいながらもしっかりとした劇場で、ステージがあって階段状の客席 その後にはディレクターブースや照明ブースもある・・・すげえ! そう思った

僕は何回もこのイベントに参加させてもらったが、有り難いことに誰かのバックというのではなくソロシンガーの「ジミー矢島」・・・当時は「矢島たかし」という名前で出ていたが・・・として演奏させてもらったことで、このことには今でもガンさんに感謝している

このイベントには普通のライブとはちょっと違うある特色があった それは出演するのがミュージシャンだけではなく役者さん・・・主に自由劇場の団員だが・・・も出演していたことだ

ただし演劇をやるのではない 彼らもミュージシャンとして演奏をしていた 当時かなり活躍していアサヒナヨシダた俳優の「朝比奈尚行」とか個性的な演技で知られていた女優「吉田日出子」なども出演していたのだが、特に吉田日出子は当時その自由劇場のメンバーが組んでいた「電気亀団」というディキシージャズスタイルのバンドと一緒に旧いジャズなんかを歌っていた

この現場を僕も何度も見ていたが、最初のうちは全員ろくに楽器も弾けず「下手だなあ~」と正直思ったが、会を重ねるうちに全員どんどん上手くなってゆくのには驚き、役者さんたちの「向上心」と努力にはこちらが教えられるようなことが多かった

このバンドがのちにある「ブーム」になっていったのは多分皆さんもご存知だろう

バンスキング

その後、このバンドの演奏に吉田日出子が歌手の役で演じた芝居・・・

のちに映画化までされた「上海バンスキング」・・・その産声をあげた直後のプロセスを僕らは目撃していたのだ

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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