僕の吉祥寺話 13

シバ・・・僕より三歳年上の彼は本名が三橋誠・・・現在では「三橋乙揶」と名乗ってるが、東京の西のはずれ八王子で生まれたらしい

彼はとても多彩な人間で音楽のほかにも絵描きとしての面も持っていてまた若い頃は漫画家を目指していて「旅人くん」などの作者「永島慎二」のアシスタントもしていた

その弟子時代の彼がモデルになった漫画を永島慎二が70年代のはじめに発表した 『若者た』というお話(これはその後『黄色い涙』として1974年に森本レオなどをキャストにテレビドラマとして放送され脚本は市川森一がつとめた)4人の主人公たちのうちのぼさぼさ頭に無精ひげの若者のモデルが当時の彼だ
その当時からもうギターを弾いて歌など歌っていたらしいが、いつ”ブルース”と出会ったか・・・という話は僕も知らない その後紆余曲折を経ていつしか吉祥寺へと流れ着いた彼はやがてぐゎらん堂と出会いしばらくそこの従業員もしていたらしい
その頃、吉祥寺の北側の五日市街道から少し奥に入ったボロアパートに彼は住んでいた

そこは木造モルタル2階建てで風呂無しトイレ共同 外階段から二回に入り薄暗い廊下の一番奥の北側のほとんど日が指さない4畳半の部屋だった
僕はもう頻繁にそれこそ毎日のように彼の部屋を訪れた 元々面倒見がいいのと寂しがりやだったのもあった彼の部屋には僕以外にもしょっちゅう色々な友人が来ていた
僕が彼の部屋を訪れてた理由はもちろん彼に会うためだがそれだけではなかった
本当にかなり経済的にはきびしい中でも彼は多くのレコードにそのわずかな収入を注ぎ込んでいた 部屋にはそれこそ何百枚ものブルースやカントリーのLPアルバムがぎっしりと並んでいた
そういった中から「これは」と思うものを引っ張り出しては僕は聴かせてもらっていた ライトニン・ホプキンスのレア盤とか・・・当時の僕にとっては「ブルースの図書館」みたいな場所だったのだ ブルースについ
色々な雑談や芸術論なんかを交わしている・・・そのうちに数名の友人たちが集まってくる 夜になる 「飲もうか」とシバが言う そこから買出しに行き「酒宴」が始まる アルコールが回ると誰かしらがギターを弾き始める シバがハープを吹く 僕もギターに手を延ばす・・・
「うるさいぞ!」 隣の住民が怒鳴り込んでくる 「そっちこそウルセエ!」なんてやり取り・・・
「じゃあ外に出ようか」ギターを置いて千鳥足で吉祥寺の街に出掛ける・・・行き先はもちろん

ぐゎらん堂に決まってる・・・そんな晩がくり返されていた
続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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