僕の吉祥寺話 30

さて、あらためて「ぐゎらん堂」ってどんな店だったのだろうマッチ

僕はここらへんについての資料や記憶がちゃんとしてないので、ここは元オーナーの村瀬春樹さんのネットエッセイ「道具の真相」から抜粋して紹介させてもらう

僕はたいてい夜の8時過ぎくらいにここにはやってきていた

ぐゎらん堂は昼間も営業していたのだが、昼間の主役は主に高校生・・・まあ僕の妹のMEGもかつテンナイてはそこに「君臨」していたのだが・・・僕は彼らとの接触はほとんどなかった

僕が「夜」それも遅くを選んだのはやはりミュージシャンたちの仲間 シバ、高田渡、友部正人、いgw-009-shivaトモベとうたかお、中川五郎、中川イサト、アーリータイムスのメンバーたち・・・などに会いにいくためだった

それこそ深夜・・・下手すると明け方まで・・・春樹さんたちお店のスタッフたちには大迷惑だったに違いないが、僕らはとことん甘えさせてもらっていた

深夜になって酒の酔いが回ってくると誰ともなしにゴソゴソと楽器を取り出し始める あっちからもこっちからも 楽器を持ってないやつは店にあるスプーンやビールの空き瓶を持ち出す

すでに「武蔵野たんぽぽ団」は消滅していたが、そのあともそういうものに繋がってゆくような音楽ヘイテンゴ的実験が夜な夜な繰り返されていた・・・と言えば聞こえがいいが、実際は酔ってダラダラと音を垂れ流していた・・・というのが真相かな(笑)

でも、そこから得たものも多かった たとえば延々と続くEのブルース アルコールは入ってるし時間はもう明け方近くだし(僕はその当時は辛うじて堅気の学生やってたので昼型の生活だった)イイカゲン眠くなってくる

すると延々とブルースのベースラン「ザッザ・ザッザ」というのを弾きながらいつしか眠ってるのだ

眠ってるのだが手はリズムを刻み続けているのだ

現在、僕がリズムギターについてある程度自信を持って演奏ができているのは実はこの時期に経験した「スパルタ特訓」のお陰なのだ

そんなふうに日々を過ごしながらたまに人前で歌ったりギターを弾いたりする

僕の修行時代が進行していた

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする