仲田修子;ダウンタウンブルース  3

しかし、一体どうやればなれるのだろう?まず私は今でいうところのサラ金というのに初めて行ってみた。そこで三万円借り、工場を辞めた。
パン屋の赤電話から電話帳を見ながら色々なところへ手あたり次第電話してみた。
まず芸能プロダクション関係。どこも誰も相手にしてくれなかった。話を聞いてくれる人さえもほとんどいなかった。次に有名な企業。
「失礼ですが、どなたに御用ですか?」
大概は女の人が出て、テキパキとした口調で言った。
「あの、誰でもいいんですけど、そちらの会社の方で、銀座とか赤坂とかへ飲みに行っている人を赤坂紹介して頂きたいんですが…」
「はあ?それはどういう事でしょうか?」
「いや、実は私、弾き語りのオーディションを受けたいと思いまして…」
「当社ではそういう事は扱っておりません。失礼します」
電話はそこで切れた。私は多分頭のヘンなヒト、と思われているのだろうなと感じた。電話攻勢はすぐあきらめた。結局たよりはあの東中野のスナックしかない。

私は店に行き、オーナーに頼んだ、「毎日ここで歌わせてもらえませんか?むろん土曜日以外はタダでいいです、そのかわり、コーラ三本ぐらいタダで飲ませてもらえないでしょうか?」
オーナーはあっさりOKしてくれた。
その店の客層は、若くて、あまりお金の無い大学生とか、映画関係の人とか、役者とかカメラマン助手とか、とにかくみんな、いわゆる下積みカンケイの人達ばかりだった。 とにかくコネを作らなければ…と、私は必死だった。その店で気が向くと適当に歌い、あとはひたすらお客全部に声をかけた。
「誰か、銀座とか赤坂とか六本木とか、そういう所へ飲みに行ってる人を知りませんか?」
誰も「そんな人」知らなかった。
私は焦った。みんな良い人達ばかりなのだけれど、とにかく下積みカンケイなのだ。
けれど、他にどうしたら良いのか、頭のヘンなヒト、はもうやりたくなかったし。
私はレコードプレイヤーもラジカセも、なんにも持っていなかった、当然レコードを買った事も無かった。たよりはテレビと雑誌の付録に付いてくる歌詞集だけだった。それには私でも知っている明星有名な歌と、その時ヒットしている歌の歌詞が、コードだけ付いて載っていた。
昼間はそれを見て練習をした。レパートリイがやっと二十曲を越えた。
「チャンス」はやってこなかった。一週間、二週間、一ケ月、何の情報も得られなかった。
母は「遊んでばかりいないで、働きなさいよ、おまえが遊んでばかりいたら、ウチはどうなると思うんだよ!」と、ヒステリックな言い方で私を非難し始めた。
あと一ケ月、あと一ケ月だけがんばってみよう、私はなけなしの貯金をおろした。

 高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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