仲田修子;ダウンタウンブルース  8

それから二ケ月後、私達一家は引っ越した。
西武池袋線の富士見台という駅、徒歩三分にある小さな一軒家だった。六畳、四畳半、DK、それに古い家だけれど、何と、お風呂まで付いていた。私は生まれて初めてお風呂のある家に住め富士見台る事になったのだ。家賃は月三万円…充分払える額だ。
工場にいた時、恐ろしい重労働を一日八時間、今は三十分ステージを四回、実働たったの二時間、それでいて貰う給料は四倍ちかく…そして休憩時間のコーラは飲み放題。この夢のような生活を維持するためなら、どんな努力でもしよう…私はさっそく中古ピアノを買い、先生を探した。
「バイエルを一から教えて下さい」
銀行の伝言板に書いた「求、ピアノ教師、当方初心者」というのを見てやってきた音大生の男の人バイエルに私は言った。
店で、私は相変らず「ルバート」で歌い続けていた。大概のお客はその事に気が付かず、ひたすら私の声を誉めてくれた、けれど、私は心苦しくてたまらなかった。
「私は詐欺をやってるんじゃないのだろうか?」
ほとんど神経症的にその考えは私を苦しめた。それに英語の歌の発音だって、吉田さんが聞けばムチャクチャな代物に違いなかった。けれど、彼女は決して、ただの一言も、私を批判するような事は言わなかった。彼女はいつも遠くを見るような眼差しをしていた。「こんな人と友達になれたら、どんなにうれしいことだろう…」私はたまに考えるのだった。けれど、彼女と私は住んでいる世界が違うようだったし、それに、ミュージシャンとしての「格」が、絶望的に違いすぎるのだった。
私は狂ったようにピアノの練習を始めた、平日は四、五時間、日曜日は十時間以上、時々背中が痛くて上半身が腕以外全然動かせなくなる事もあった、だが、それがどうした?工場で苦しかったのとは訳が違うんだ、今の私には目的があって、好きこのんでやっているんだ。練習のしすぎでい鍵盤くら体が痛くなっても、苦しいどころか、むしろ心地良い満足感さえあった。

 高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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