もちろんエルビスばかりを聴いていたわけじゃない
当時、ブルースから徐々にだけどジャズのほうにも興味が広がっていた
ただし、それはいわゆる「ダンモ」と呼ばれていた新しいジャズじゃなかった 最初は戦前のそれもうんと旧い「ニューオリンズ・ジャズ」と呼ばれていたあたり・・・「ディキシーランド・ジャズ」と一般に呼ばれてるが、あれはじつはニューオリンズにいたジャズマンたちがその後シカゴなどへ出て新しく作ったスタイルだ
その元になったスタイルはニューオリンズのいわゆる「飾り窓」などの「娼館」が全盛だったころ、そこへ来るお客へ娯楽を提供するために行われていた黒人ミュージシャンたちによる「ショウ」が発端になっている 純粋に楽しませる・・・もっといえば”踊らせる”ための音楽としてあるいは”もっと酒を呑ませ散財させるためのツール”として機能していたジャズ・・・それはブルースとまったく一緒のところに居たのだ その後・・・時代が下るにつれてジャズの方だけなんだか妙に文化的向上心を持ち始め、次第にアートになってっちゃったけどブルースはそのまま・・・というより1950年代に白人のカントリー音楽と化合して「ロック」を生むことになるんだけどね
その時代に活躍していたニューオリンズのジャズマン(当時はまだjazzという呼ばれ方ではなかったらしいが)、代表的なのがルイ”サッチモ”アームストロングだけど、バンク・ジョンソン、ジョージ・ルイス、キッド・オーリーなどなど・・・
あとピアニストのジェリー・ロール・モートンなんてのもよく聴いてたなあ これらは後になって僕がバンドアレンジなんかを考えるときの大きな基礎になってると思う
でも、やはりギターものが聴きたくなった しかし、この時代のジャズの世界ではギターがメインになることはほ とんどなくて、メインはあくまでもコード・カッティングのリズム楽器の役割り もちろんエディー・ラングなんてすごいギタリストも居たし、ロニー・ジョンソンみたいに本来はブルースマンなのになせかジャズの世界にも足跡を残してたギタリストもいた
でも、やはりギターが主役のジャズっていうと、ヨーロッパのジャンゴ・ラインハルトは別にすればこの人・・・チャーリー・クリスチャンが出てくるまで待つしかなかったのだね
このチャーリー・クリスチャンの「ミントンハウス」ってアルバム・・・いやあ・・よく聴いたなあ
それで、僕も少しずつジャズのスケールとかコード使いなんかを覚えてって・・・だから「ディミニッシュ」とか「メジャーシックス」とか「オーギュメント」なんて今までは絶対に使わなかったコードも覚えていったのだ
ブルースのほうでいくとT・ボーン・ウォーカーのギターなんかずいぶん勉強したなあ あのイントロのソロが完璧に歌ってるような彼のフレージング痺れたねえ それからやっぱり知れば知るほど「この人はすごいなあ」と思うようになったロバート・ロックウッドjr あの「ライブ イン ジャパン」の「Stormy Monday」のソロ・・・いまだにコピーしきれないけど、一生懸命コピーしてたなあ
そういう音楽性の変化は 当然僕が作る曲にも変化を与えることになってきた
高円寺ライブハウス ペンギンハウス