仲田修子;ダウンタウンブルース  7

ある晩、彼女は何を思ったのか、私達が「ドンカマ」と呼んでいるリズムマシーンを物すごい早さの8(エイト)ビートにして、バッハの何声…何声だったのかは忘れてしまったが、とにかく難しそうなクバッハラシックを8(エイト)ビートに乗せて弾きまくった事があった。店中総立ちになった、ブラボー!の声が湧き起った。
むろんお客の歌の伴奏なんて、譜面なんて一切見もせずに軽々とやっていた、彼女の頭の中にはスタンダードジャズの譜面なんて千単位で入っているに違いなかった。
彼女は大学を出たばかりで、私と年もほぼ同じ位だった。そして、すごい美人だった、けれど不思議な事に店にやってくる若いエリートサラリーマンにあまりモテなかった。
今思うに、彼女は立派すぎたのだろう…時々色々な年代の白人の男が店へやって来て、彼女と英語で話し込んでいた。みんな彼女に対して奴隷のように卑屈なまなざしと態度をとっていた。
「吉田さん、私の歌って変?」
一ケ月もたたない頃、私は思い切って彼女に訊ねた。
「うーん、別に変ということはないけど全部ルバートで歌っているみたいね」
「何ですか、そのルバートって?」メトロノ
「うーん、日本語にするとねえ、たしか追分形式というんだと思うんだけれど、つまり、四分の四の曲で、一小節が四拍と決っている曲でも、あなたの場合、それが一小節四拍にならないで、六拍とか、二拍とか、三拍とか、その時によって色々変えて歌っているのよ」
「そうだったんですか、それでデタラメに歌ってるとか言われるんですね?」
「ううん、私はデタラメとかは思わないけれど…一人でギターを弾きながら歌うんだったらそれでもいいのよ。ただ、他の人の伴奏で歌うとか、バンドで歌うとかいう場合はそれじゃ歌えないけれどね」
彼女は本格的なお嬢様だった。少なくとも私はそう思った、育ちの良さからくる謙虚さと思いやりがピアノヒシヒシと伝わってきた。
私は譜面が全く読めなかった。その上この店に入るまではレコード一枚聞いた事がないのだ。
引っ越しをしよう。ピアノの弾ける家に…ピアノを習おう…譜面が読めるようになりたいから。

 高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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