僕らの北沢話  32

僕は呆然となった 彼らの恐るべき食い意地と食べっぷりに・・・それもだけど、どうしても腑に落ちないところがあった 一体奴らは何を考えているのだろう・・・勝手にやってきて人の食事を無遠慮に食ってさして感謝するわけでもなく去ってゆく そういうことがそれまでも繰り返されていてそれでも修子が「彼も可哀相だから」と大目に見ていたのをこういう風に図々しく利用するKという男に怒りを覚えた もう一度言うけど彼は僕らのプロジェクトには「僕は参加しません」と去って行った人間だ・・・だがその思いに耽っているわけにはいかなかった

とにかく急がなきゃ もう少しで皆が帰ってくる 疲れてお腹を空かせて・・・僕はもう日がとっぷり暮下北駅前れた小田急線沿いの道を小走りでもう一度下北沢に向かっていた さっきと同じ材料をまた買いに

そしてもう一度同じ調理作業をやってなんとか修子たちが帰ってくるまでに間に合わせることができたが、もう真冬に近かったのに僕はびっしょりと汗をかいていた

一連の騒動を修子に告げると「そんなことがあったんだ!」と笑いながらも彼女もそのKとHの図々しさと無神経さに呆れていた

この話を思い出すと僕は今でも腹が立つのだ 40年経っても怒りが風化しない

それはKたちがそれまでもその後も、僕ら・・・とくに修子の周りになんとなく貼りついていろいろ自分達の都合のいいことだけはちゃっかりお世話になっておい てそのことに少しも感謝すらする気配が見えなかったこと・・・それは調子のいいことばかりを並べ立て結局は利用することしか考えてなかったプロデューサーMとはちょうど反対側にいるようで実は体質的にすごく似ている・・・ つまり音楽をやることで人に何かを与えるのではなく貰うことばかり考えている・・・そういう浅ましさをイヤになるほど見せ付けられたからだ

だいぶあとになってKが自分のレコードを製作するときに修子からその費用のお金を借りてライimagesナーまで書かせておいてその後何の音沙汰もなくついにその借金は返さずじまいで鬼籍に入ってしまったということを修子から聞かされて改めて呆れてしまったものだ

とにかく・・・食い物の恨みは・・・おそろしいのだ(笑)

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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