僕の吉祥寺話 55

さて、僕の吉祥寺話・・・思えば今年の元旦から始めて途中何度か中断もしてたが気がつけばもう7月の下旬

そろそろこの話もエンディングが近くなってきた

そして、このところ続けてやっていた人物紹介・・・これも今日が最後になる・・・となるとやはりこのgw-007-wataru人のことに触れないわけにはいかない そういうわけで今日は「高田渡」だ

彼については色々なところで色々な人が語っているし、「バーボンストリートブルース」とか「タカダラタル的」など書籍や映画まで出版されてるので、ここで僕があれこれ語る必要もないだろうが、まあ40年近くになる彼との付き合いの中で僕が見たこと思ったことを書いてゆこうと思う

彼に関ったおそらくほとんどの人が彼からは恩恵とそして迷惑をうけていたと思う(笑)

とにかくいい意味でも悪い意味でも人騒がせな人だった

大体、亡くなったのが北海道のそれも白糠町なんてとんでもない遠方・・・最後の最後まで周りに世話をかけた人だ

僕は彼にお世話になったことも何度かある あるとき、誘われて京都まで二人でツアーに一緒に行ったことがある 初日は当時京都にあったライブハウス「むい」・・・ここは渡氏の先妻の富美子さんのお兄さんが経営していたお店で、その後も僕はここには何回もお世話になった

「むい」では僕がオープニングアクトをつとめそのあと渡がメインアクト、何曲かは僕がバッキングを務めた

翌日、渡氏は四国でライブがあるというので京都を離れ僕は一日オフ、そしてその次の日は同じく京都にある大きなライブハウス「拾得」で彼がメインでライブをやることになっていたジュットク

ところが・・・当日になって彼から電話がかかってきた

「悪いけどどうしてもそちらに戻れなくなっちゃった 矢島君ひとりで頼むよ」・・・と

え~っ! だろ なんとあの拾得にメンアクトが当日ドタキャンで、まったく無名の僕がなんと独りで出演することになってしまったのだ!

焦ったよ とにかくお店の人に事情を話し、しかたないので僕ひとりでワンマンライブをやることになったのだ(笑)

しかし、あの頃はなんていうか今に比べるとゆるかったというかお店の人もお客も誰も怒りも文句も言わずに僕の演奏をちゃんと聴いてくれた なんていい時代だったのだろう(笑)

ずっとあとになって・・・それは渡氏が亡くなってその追悼イベントでほかの音楽仲間と談笑していた時だ 僕が「こんなことがあってさ・・・」とくだんの話をするとその友人がこう言った

「え、矢島くんもそういうことあったの?俺もだよ」「あ、俺も!」 なんと数多くのタカダテキミュージシャンたちがそういうメにあっていたことが判明した

そういうことは最後まで続いていたそうで、あの映画「タカダワタル的」の「スズナリ」でのライブシーンの撮影当日、どこかへ失踪してしまった彼を息子の漣くんが見つけ出してやっと連れて来たという話をあとで聞いた

彼についての話はまだまだある・・・・続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

 

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