僕らの北沢話  41

ミュージシャンのミュージシャンによるミュージシャンのためのスペース・・・

ライブハウス「猫屋敷」はついに高円寺の一角に産声をあげた さあ、これからは僕らのやりたいことをここで思う存分ここを拠点に展開してゆくぞ~! 期待と希望が膨らんだ・・・しかしScan0030

すぐ直後に僕らはどうしようもない現実と直面した

お客が来ない・・・のだ

オープンして数日は友人や知り合いなどが開店祝いにかけつけてくれた それもひと段落すると、狭い猫屋敷の空間が妙にガラーンと広く感じるほど・・・店の中はさびしい空気が充満していた

客席にはせいぜいお客が2~3人・・・それに比べてカウンターの中にはそれを超えるような人数の従業員・・・なにしろ修子をはじめ全員がその中に居たのだ

ここで僕らは高円寺という街の厳しい実態を思い知らされることになる ある日、ふらっと入ってきたお客がこんなこを言った

「あんたらよくここで店やることにしたね 高円寺ってとにかく飲み屋の数がムチャクチャ多くてどの店もしのぎを削ってる・・・商売するのにこんな難しい街はないよ」・・・と

そんなこと誰も教えてくれなかった(笑) とにかく持てる資金は全部注ぎ込んで作ったこの場所だ 小さいけど皆の砦なのだ おめおめと引き下がるわけにはいかない

一生懸命宣伝もした すぐ近所にある銭湯にポスター持ってって貼ってもらった 駅前でビラも配った

それでも客数は悲しくなるほど伸びない 冷静になって考えてみればそうかも知れない なにしろウイスキー高円寺の裏街のまた裏通りの目立たない場所で、いかにも怪しげな建物の地下のさらに怪しげな入り口・・・おまけに「猫屋敷」という名前は一度聞いたら忘れないほどインパクトは充分すぎるくらいだが、きっと一般のサラリーマンやOLなんかは絶対に入って来そうもないネーミング(後に知ったが近所の人たちの中には意地悪く「化け猫屋敷」などと呼ぶ人もいたらしい) それは今になって思えばまさにサブカルチャーの騎手として誇りを持って名乗れる名前なのだが、当時はまだ日本がバブルにさえ達していなかった時代・・・アンダーグラウンドやサブカルに対する意識は驚くほど低くまた乏しかった

毎日店に居ても本当にやることがない・・・退屈な時間ばかりが流れてゆく するとここで修子の例の「クセ」が頭をもたげはじめた

今度は店に来ているお客・・・それでも何人かはここが気に入って常連になってくれた人も居たのだ・・・を集めてまた彼女独得の発想から出てくる遊びが始まったのだ 「アラビアナイト」や「ツッパリング」などの世界につながるようなものだったが・・・それは

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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