これだけは

もう3日続けてB・Bキングのことばかり書いてるなあ・・・img_0

彼の死は”ショック”と言うんじゃなくて「とうとう来てしまった・・・その日が」という感じなのだ

これは断言してもいいが、彼が亡くなったことでアメリカの黒人によるブルースの歴史は幕を閉じたと思う ちょうど日本で美空ひばりの死去にあわせるように「歌謡曲」が消えていったように

いつまで感傷に浸っててもしょうがないのでB・Bの話はとりあえず今日で終りにするね

ただ、最後にどうしてもこれだけは言っておかなくちゃと思ってることがあるので・・・以前どこかで書いたこともあるのだけど・・・彼は僕の命の恩人なのだ

話は今からもう15年以上前になる 当時僕は吉祥寺の実家で「からまつ亭」という蕎麦屋をやっていた

当時、オープンしてそろそろ3年になっていた店は駅からも遠くスペースも狭く・・・何より蕎麦職人image108としての僕の腕もまだ未熟だったのもあってまったく流行ってなかった

毎日毎日閑古鳥が鳴く・・・毎月借金は増えるばかり それに自分の家は山梨の八ヶ岳にあり友人や音楽仲間もそちらには沢山居たのだが、その人たちと離れ家族からも離れ毎日孤独にがんばっていたのだが、さすがに3年経つ頃には段々と気力も弱ってきて悲観的なことばかり考えるようになっていた・・・そう、今思えば「うつ病」になっていたのかも知れない

とにかくすべての責任は自分独りにあった 誰も責めることもできない・・・そんな日々が続いていた

その頃・・・僕の店は中央線の高架線のすぐ近くにあったのだが、当時やたらと「人身事故」が多かった 今でも多いが当時はほとんど毎日のように・・・外を見ると線路の上で停止したままの列車を見ることがよくあった

あの日もそうだった 僕はお客のいない店のカウンターの中にうずくまり考え事をしていた

「そうだ・・・ああすれば今のこの苦しさから開放されるんだ・・・そうか」

心の中に線路の光景が浮かんでいた 「楽に・・・なれる」

その時だった 店で流れていた曲(僕の店は「ブルースが流れる蕎麦屋」だったのだ)がふと耳に飛び込んできた それはプレイヤーにかかっていたCDの中の曲だ

その男性シンガーの歌ってる内容はよくわからなかった ただ、そのとき彼が僕に向かってこう言ってるように思えたんだ

「あんたはバカさ どうしようもないバカ・・・救いようがない でもね・・・生きてていいんだよ」

はっと我に返った そうかあ、俺バカなんだ・・・でもそんな俺でも生きてていいんだ!

とたんに心の中のモヤモヤしていたものがウソみたいに吹き飛んだ そして僕は思った

「もう一度、死ぬ気でがんばろう」・・・と

不思議なものでその後から少しずつ店の経営も良くなってきた 常連さんも増えてきてその店を中心にした新たな友人もできはじめた 東京でのバンド「からまつ楽団」の活動も始めた

あの時もう少しで線路に行くかも知れなかった僕を引き止めてくれたそのシンガー・・・

もうここまで言えばわかるよね そう、B・Bキングの「Blues on the Bayou」というアルバムだったんだimg_0

僕は見てないけどあの夜、テレビ朝日の「報道ステーション」がBBの訃報を取り上げキャスターの古館伊知郎がこう言ってたそうだ

「アメリカでは白人に比べると黒人の自殺率が低い・・・それはブルースがあったから」

僕も本当にそう思う そしてこれからも誰かのために僕のブルース歌い続けるんだと思う

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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